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ゆるく、でもお互いに切磋琢磨しあっている。
フェイスブックは「関係の可視化が信頼につながる」SNSなのだそうです。つまり、その人がラインナップしている「友達」が、そのひと自身の生き方や人となりを語るツールだということです。
なかなか小難しい表現ですが、そんな解釈に共感する私は、私のフェイスブックの「友達」ラインナップに神経質です。
実際、今まで一度は「友達」になったものの、その後、情報交換したり、お会いする機会がなさそうな三桁以上の方々を、一時期、ばっさりと削除しました。
現在は、申請があっても、余程でなければ会ったことの無い方とは「友達」になりません。なので、2百数十人の友達から殆ど増えません。
また、1万フォロワーを目指すTwitterに関しても同様なスタンスで臨んでいて、現在保有する4千8百を超えるフォロワーさんに、フェイスブック程では無いにしても慎重に対峙しています。
具体的には、週に一度はフォロー状況をメンテナンスすること。
明らかにフォロワー稼ぎをしているだろう方々をピックアップし削除したり、偏向感あるツイートは、残念ながらブロックします。
私のTwitterの”リスト”で、つぶやきをいつも楽しみにしている社会派ブロガー & 紀行文筆家の「ちきりん」さんは、その著書で紹介していました。
マーケット感覚を鍛えるには、ブログやツイッターのような、市場性の高いSNSで発信するほうが役に立つし、コミュニティ内での人づき合いスキルを高めるには、フェイスブックやLINEのほうが向いています。
なぜなら、ブログとツイッターは、不特定多数の発信者と受信者を結びつける、極めて市場性の高いSNS。
無名の人が有名になったり、フォロワーが数名しかいない人の発言でも、リツイートされ続け、何万人にも読まれたりする。
一方、フェイスブックやLINEは、知り合い間でのコミュニケーションツールとして使い始められる、相対取引的なSNSツール。なので、もともとリアルな社会で成功している人しか影響力を持てない。
「いいね!」が得られるかどうかは、発言のおもしろさではなく、知り合いの数によって規定されるからだ。と書いています。
最近、どうしてもTwitterに時間がとられ、フェイスブックに向かう割合が少なくなっているのは、この辺りが影響しているのかも知れないなと感じている次第です。
そんなことで、300回というエポックメーキングな機会を超えた、主宰する異業種交流会の会員や、今後この交流会で出会うであろう方々とも、全世界に蔓延したコロナ禍を受け、真剣に“対峙”する気持ちが、今まで以上に強くなっている私です。
ところで、中国、前漢時代の「礼記」にある孔子の言葉に、『一張一弛(いっちょういっし)』があります。これは水戸徳川家の”教え”にも繋がっていて、地域の方々には馴染みの言葉です。
弘道館で学問に励み、偕楽園で心身を休めるカタチにも表現されました。
子曰く「張りて弛めざるは文武も能くせざる也、一張一弛は文武の道也」。孔子は「礼記」で良い政治の要諦をそう述べました。
厳しいだけではいけない、時には緩やかに治めるのが肝要と説いたものです。弓の弦を張ったり緩めたり、琴の弦を張ったり緩めたりすることも『一張一弛』と言います。
26年間主宰している異業種交流会は、「ただの飲み会」です。
仕事を探そう、ビジネスに繋げようと、名刺を沢山持って参加した方々は、そのスタンスにがっかりし複数回の参加を脚踏みします。しかし、そこに集う方々の本質を見極めると、やがては参加しないではいられなくなります。
ゆるく、でもお互いに切磋琢磨しあっている。
私たちの参加者同士の関係も、まさに、この『一張一弛』を体現します。そこから新しく強い「信頼」が生まれ、予期しなかったコラボレーションが育って行きます。