「がんばらない」ことの難しさを痛感するこの頃
今回は、私事について。
今年8月をもって、日本語講師のお仕事から離れました。
~今回はpasteltimeさまの素敵なイラストを使わせていただきました^^~
もともとは、韓国の大学にて常勤講師として教えていました。
しかし、少子化、日本語専攻者の社会的な需要減少など諸々な理由で
勤めていた大学の日本語学科が無くなり、
常勤講師から非常勤講師へ、そして契約制となりました。
(今度、韓国の日本語教育事情についても知っている限りお伝えします)
それからは、他の大学とかけもちをし、多忙な日々を送っていました。
しかし、諸事情で2大学との契約終了。
そして残りの1大学とは、1学期の3時間授業のみの契約。
授業の準備と事務的な雑務を考えると割に合わないので、
今年限りで、辞めようと考えています。
ということで、9月から専業主婦をしています。
子供も大きくなったので、育児にかかる時間もない。
自分のための時間がたくさんできたわけです。
「さあ、何をしよう」
韓国語の勉強
英語の勉強
~~のための勉強
~~のための勉強
思いつくことは、全て未来志向性のあるものばかり。
我ながらビックリしてしまいました。
今まで頑張ったんだもん。
少し休んでもいいんじゃない、立ち止まってもいいんじゃ?
と感じつつも、、、
「休む」「遊ぶ」「ゆるめる」的な考えが
自分の中から出てこないのです。
考えてみれば、学生の頃から「努力」の人でした。
不器用な私が、唯一認められるのは「努力」することしかなかった。
だから、普通に近づきたくて認めてもらいたくて人一倍がんばった。
それがまた奨励されるような世代でもありました。
そのことに因るのでしょうか。
「頑張る」ことが「普通」になってしまったのです。
でも無理していることは分かっていたし、それが年齢を重ねることで
カラダに負担をかけていたことも分かっていました。
なのに、休めないのです。
休んでいると、どこかからか「動け」という信号が送られてきます。
それは、将来に対する漠然とした不安から来るものだと思っています。
休みたいのに休めない;;おかしいですか、私?
若い時なら、頑張ったらその分しっかり自分のものになりました。
しかし、今は、、頑張る割に頭やカラダがついてこない;;
勉強しても、すぐ忘れる( ノД`)シクシク…目が疲れる;;首痛い;;
効率悪いこと、この上ないのです。 その上カラダ壊すなと感じました。
「頑張らなきゃ」と「休まなきゃ」
心の中で、2つの相反した渇望が渦巻いております。。。
そこで、、
決断しました。
今年いっぱいは、何もしない!!!
努力しない!頑張らない!将来のために何もしない!
することは、最低限の家事と体のメンテナンスのみ。
将来に対する不安が、詰まった頭をか~~るくし、
新年を迎えたい。そして、
何かよくわからない「圧迫」から解放されたい。
ひとまず、、
「自分」を観察していきたいです。
しかし、「何もしない」「がんばらない」って、ホント難しい。。
「何もしない」ことを「がんばっている」ichieでした^^
どうなることやら、また今度、ご報告いたします。