四月十一日
*実際に送付した内容と一部内容を変えて掲載しております。
あしからず。なむなむ。
拝啓。森見登美彦大先生。
不要不急、外出自粛、NO3蜜といわれる昨今。
先生はいかがお過ごしでしょうか。
私は、京都に憧れながら東京に住み、京都への妄想を膨らましながら、
生活しているイチコロと申します。
怠け者の私ですが、ぽっかりとできた時間で先生に感謝のお手紙を書きました。
これは不要不急、いや要で急なお手紙です。
今だからこそ、声を大にして言いたい。
不要不急こそが実はとっても大事なのではないか。
そう私から不要不急をとったら、何も残らない。
私の体はワインではなく、不要不急でできている。
私の存在そのものが不要不急の極みなのである。
職場での会話も不要不急で成り立っている故、在宅勤務となった今、
不要不急な会話を自ら生み出さなければならない。
なんという、つらみ。
ただでさえ、長時間労働することを目的としていない、
なんなら怠惰な時間を貪るためだけに購入した
ソファーで長時間パソコンと睨めっこ。
身体中が悲鳴をあげ、頭にはベートーヴェンの運命が響き渡る。
なんという、悲しみ。
ただでさえ、運動できない今の時期に少しでも運動をと思って、
ラジオ体操をするも、あまりの過酷な動きにさらに体がバキバキになる。
なんという、痛み。
そして、なんでラジオ体操の人はレオタードを着ているのだろうかという、
また不要不急な疑問が頭に浮かぶ。
いけない、また不要不急な話題で本題からずれてしまった。
緊急事態宣言が出され、外出自粛が要請される今。
一億三千万人の日本国民が己の四畳半の可能性を模索し始めたのではないか。
そう、ついに森見登美彦大先生の時代がやってきたのである!
森見先生との出会いは突然だった。
たまたま同僚から薦められた森見先生の「恋文の技術」を
読んだことがきっかけだった。
先生のお名前は知っていたものの、「夜は短し歩けよ乙女」も読んだことのない、
森見先生初心者であった。
あらすじも聞かず、読み始めたが、本を開いた途端に、
先生の進んでいるようで全く進んでいないような軽快な文章、恋が成就するまで、
パンツを替えないという確固たる意志をもった奇妙奇天烈な登場人物、
手紙のやり取りで話が進んでいくという斬新な展開に引き込まれ、一気に読了。
先生の文章は私の理想系。私の心にぴしっとはまり、
先生を紹介してくれた同僚に感謝感激雨嵐台風、
これでもかというくらい褒め称え、
恋文の技術に刺激され、文通のようなことも始めました。
そこから、森見節も味わうべく、活字離れしていた私はとりつかれたかのように
先生のすべての著書、そしてエッセイ、対談集を読み漁りました。
先生に影響されすぎて、この世が天狗と狸と人間で
構成されているような気になったり、
自然と森見節がでてくるまでになりました、なむなむ。
二〇一九年秋口、森見先生の作品を読み終えて、
これからどうやって日々を送ろうかと途方に暮れていた頃に
先生の講演会があることを発見し、大興奮。
遠足前の子供のように、その日を待ち焦がれ、しまいには風邪、
いや李白風邪で熱がでているなか、整理券をもらいに大学へ。
講演会開始まで熱でうなされるながら、乙女のように学園祭をふらふらして、
なんなら大好きなカレーを食べたりして、時間を潰しました。
講演会が始まり、教室に先生が入ってきました!
森見先生歴は浅いですが、こんなにも早く先生のお姿を眼前に拝むことができて、
ありがたい限りです。感謝の気持ちをおおさめください。
色紙のくじ引きでは横の横の方が先生の色紙をあて、悔しい思いをしました。
講演会終了後、ぱたりと倒れ、2,3日寝込んだのはまた別のお話。
先生の文章にどれだけ助けられたか、
おかげさまで不要不急の私のくだらなさに磨きがかかりました。
(これでもかというくらい、褒めています。称えています。
そして、感謝しています。)
これからも己のくだらなさに磨きをかけていく所存です。
外出は自粛しても、己の四畳半ではオモチロきことは自粛せずに我が道を邁進、
いや迷走して参ります。
いつか先生が本上まなみさんにお会いしたように、
いつか先生にお会いできる日がくることを願っております。
私も締め切り次郎に悩まされる日々を送っているので、
無理はいいませんが、先生の次回作を楽しみにしています。
最後まで、お読みいただき、ありがとうございました。
森見くれぐれもお体ご自愛ください。
面白きことは良きことなり!
見所の多い大作家 森見登美彦先生へ
森見先生へ憧れの眼差しを送るも
パンツ総番長ほど確固たる意思がない
イチコロ