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北大西洋本鮪(クロマグロ)定置網事業~歴史とロマン~

◎ヨーロッパにおけるマグロ漁の発展

紀元前2500年ごろ、ティルスという都市(現在のレバノン)がフェニキア人により生まれる。この都市はフェニキア最大の都市になるが、レバノン杉を利用して造船、漁網などが発展する。これらの技術がのちのカルタゴ(北アフリカ)という国家を作り、かの古代ローマ帝国と地中海覇権争いをするまでになる。これらの歴史の中で漁業技術の発展が非常に重要な役割を果たしたようである。カルタゴは次々に地中海の主要都市を制圧。このような中で地中海西部でのタイセイヨウクロマグロの定置網漁が発展していく。当初は魚醤の製造などが主で卵を利用したカラスミ、肉は塩漬け(モハマ)やツナ(油漬け)などが生産されるようになる。この歴史は1980年代ごろまで続くが、特にカラスミ用の卵の方が重宝され身の部分に関しては加工品の原料になるためその鮮度感は全く重視されておらずとても刺身で食べられるような代物ではなかった。身の主な食べ方としてはツナ缶がほとんどで20世紀後半ごろまでは沿岸にツナ缶工場が乱立していたそうである。

◎日本におけるマグロ漁の発展

日本でのマグロ漁の歴史は縄文時代まで遡るようである。一本釣りや銛による突きん棒などが主な漁法であった。そして徳川政権下、豊洲市場で最も歴史のある仲卸が徳川家康にマグロを献上したという文献が残っているそうである。この頃の浮世などを見ると地引網のようなものでマグロを追い込む姿が描かれている。これが定置網に発展していったようである。江戸時代にかなりのマグロが獲れたのであろう。醤油の普及とともにヅケとして当時流行り始めた握り寿司のネタとして振舞われる。ただし当時はまだ冷蔵技術が発展してなかったため、足の速いマグロは下の魚として扱われていた。特にトロは猫も食べない「猫マタギ」と呼ばれ人々から敬遠されていたのは有名である。脂は酸化するのが早く、鮮度が落ちるとすぐに悪臭を放つからである。そして時は第2次大戦後の経済成長期、冷蔵技術と物流システムの発展さらには冷凍技術の急成長により遠洋での延縄漁が展開されることとなる。冷凍技術はどんどん進化し、やがてはー60℃の超低温冷凍を可能にし、船上で急速冷凍し活〆状態の鮮度を保持したまま日本への搬入できるまでになる。このことはトロの価値を引き上げ、バブル期にかけての高級鮨ブームを牽引する。そして美味しい刺身を食べたいという欲がまた更に遠い海へと男たちを向かわせたのであった。

◎ヨーロッパのマグロ漁と日本のマグロ漁の出会い

そんな同じマグロの別々の長い歴史を辿ってきた両者が交わることになる。この出会いの初期から現在に至るまでこの事業に携わり作り上げ一貫して見守ってきた一人の男がいるのである。S社のN氏である。開拓者であり彼もまたマグロに魅せられた人の一人である。私もよくお世話になった方で初めてお会いした時はまさに野武士のような印象を受けた。今年度で引退されるそうであるが自ら語る様な人ではないので定置の歴史と一緒にこの人の功労が人目にさらされずに消えていくのは余りにも寂しいことであり、事業の歴史を文化の歴史として少しでも伝えたいとの思いで、お話を聞いてきたのである。

1979年スペインにはバルバテとサハラという2か所の定置網が存在した。三重の長勝丸漁業が地中海でマグロ漁が行われているとの情報を得ると東食という会社の経済的援助を受け買い付けを行う。しかし長勝丸が倒産。

2年後の1981年今度は東食が韓国の船会社東水(ドンスー)のマグロ船をチャーターし買い付けを開始。

1982年N氏が事業に参加をする。当時彼は新卒の2年目。マグロのマの字も分からぬまま駐在していたスペイン領の島ラスパルマスから突然バルバテに向うように言い渡される。ここから彼の波乱に満ち溢れた40年が幕を開ける。ちなみにこの時の私は1歳である。

1983年にはチャーターしていた東水(ドンス―)が倒産したためイースタンリーファーという船会社に切り替える。この頃からマグロ業界でも名の知れた会社たちが入り乱れ買い付け合戦を始める。定置網もサハラを買い付けるようになり、またタリファ、コニールなどの定置網も復活し現在の4か所体制ができあがる。

この頃取り上げされるマグロはとにかく鮮度が悪く目も当てられないほどであったそうだ。網に何匹入っても一気に取り上げてしまい。作業が一日で終わらず2日も3日もかけて冷凍することもあったそうだ。当然身はヤケてしまうが、当時はそれでも日本で刺身で食べられていたそうである。今では考えられない話である。

N氏はスペイン定置の担当者になって最初の2年はマグロの生産の知識が全くないことから現場でのオペレーションは全て船に任せていたそうであるが、ある時それが間違いであることに気づく買い付けをしているのはN氏の会社であるのだから、たとえ間違っていてもN氏が責任をもって現場での意思決定をするべきであるということである。至極真っ当な考えであるが、これを弱冠20代前半の若者が自ら考えたことがスゴイと思う。私の実体験と多少シンクロする部分もあると感じたが私がこの年でこのような考えに至るとは到底思えないのである。かくしてN氏はこの時から全ての意思決定を自ら行うようになった。船の人にどやされながらも次第に現場のことが分かってきて認められるようになったそうである。マグロの選別を行うようになったのもこのころからである。マグロを選別し鮮度が悪いと船元にクレームをつけたり値引きの交渉などを行うのだが、こうなると網元から煙たがられるのである。同じく買い付けを行う同業他社はノークレームで買い取ってくれるからである。しかしそのような会社は結果として鮮度の悪いマグロを買い付けることになるので買い付け争いから撤退せざるを得なくなる。結局この買い付け争うを最初から最後まで続けた会社はN氏が所属した会社1社であった。

お話を聞いていて思った。当初むちゃくちゃな取り上げが行われておりヤケだらけだった定置網本鮪買い付け事業がなぜ40年も続いたのか。N氏の自ら意思決定を行うべきであるという決断、これこそが一つの分岐点であったのだと思うのである。

今回お話を伺った内容はN氏の40年のほんの触りでしかない。その濃密な歴史は1冊の本にできてしまうほどであろう。

◎この事業の魅力

マグロには美味しさだけではない魅力がある。日本とヨーロッパでこのような歴史の中で培ってきた文化があるキッカケで交わり、それが一人の男の手によってブレンドされまた一つの歴史が生まれたのである。このことこそがこの事業の最大の魅力であると私は思う。まさにロマンであると言えるであろう。そしてせっかくここまで発展してきた事業が今、買い負けにより日本から姿を消そうとしている。栄枯盛衰、諸行無常。何と日本人的な精神であろうか。この儚さすら私には魅力に感じてしまうのである。




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