『近未来戦の核心サイバー戦-情報大国ロシアの全貌 』(佐々木孝博、育鵬社、2021年10月22日)は辞書的にも使える良書。
『近未来戦の核心サイバー戦-情報大国ロシアの全貌 』(佐々木孝博、扶桑社、2021年10月22日)は安全保障の専門家で、在ロシア防衛駐在官を務めたこともある著者によるロシアのサイバー能力に関する総合的な整理、分析の本。ロシアの国家安全保障戦略、軍事ドクトリン、情報安全保障ドクトリン、ゲラシモフ論考など基本となる資料をていねいに紹介、解説している。ゲラシモフ論考、いわゆるゲラシモフ・ドクトリンの図を日本語に訳したものは初めて見たような気がする(私も訳さないで紹介していた)。
基本的かつ重要なロシア関係の資料を幅広く紹介してくれているのはとても助かる。同じくロシアの専門家小泉悠の『現代ロシアの軍事戦略』を始めとする資料と並んで参考になる。
網羅的に取り上げているので、なにかあった時に辞書的にチェックしてみるのにも有用だ。
主として私の個人的な感想だが、本書は下記の点が類書に比べて役に立った。
・前述したようにサイバーに関わるロシアの基礎資料をていねいに紹介している。
・サイバー戦の範囲を広くとらえ、私が主として扱っている影響工作、ネット世論操作も含めて紹介、考察している。
・総合的な安全保障の中での位置づけ(核や技術戦略などとの兼ね合いなども含め)中でのサイバー戦の位置づけも整理、分析している。核との影響工作のトレードオフに関する考察は興味深かった。
・ご自身が体験したことも綴られており、他では読むことのできない内容だった。
まえがきとあとがきにどこになにが書いてあるかを整理してあるので、最初にそちらを読んで関心ある箇所を拾い読みしてもよい。本書の冒頭はロシアの国家安全保障戦略、軍事ドクトリン、情報安全保障ドクトリンの解題から始まっているので、人によっては少し退屈かもしれない。本書全体が、読み物というよりは、専門書あるいはテキストといった感じで書かれている。
いくつか気になった点もあった。これらは問題点というよりは、私がふだん扱っている分野に近いので「私ならこうしたい」という感じのもので本書に瑕疵があるわけではない。単純な校閲ミスはあったが、著者の責任ではないと思うが読む方のためにあげておく。
・拙著、拙稿からの引用部分で出典が異なっていた箇所があった。校閲での確認漏れと思われる。これは主として拙稿のリンク元がわかりにくい表記になっていたためと思う。ニューズウィークでは出典を明記しないでリンクだけ貼ってあるケースが多々あるためだ。たとえば、私の原稿では「2週間前にツイッター上でのプロパガンダが活発になったことが観測されている(Investigating Twitter Disinformation in Ukraine、Mythos Labs、2021年12月9日、https://mythoslabs.org/2022/01/04/investigating-twitter-disinformation-in-ukraine/)」と書いてあっても、掲載された記事では「2週間前にツイッター上でのプロパガンダが活発になったことが観測されている」だけが文字として掲載され、リンクが貼ってあるだけとなる。そのためその文章の直前に「Aからは○○といった報告もあがっている。」という一文があると、本来別の出典だったあとの文章の出典もAと勘違いされてしまう事態が起こる。本来なら校閲でチェックされるべき箇所だ。もしこの記事を読んだ方の中に佐々木孝博さんと面識のある方がいたらお伝えいただけるとありがたい。おそらく私以外気がつかない誤記だと思うけど。
4Dはオクスフォード大学ではなく、4Dはネット世論操作分析では有名なベン・ニモが提唱したもので、拙稿にはそれに関する記事へのリンクが貼ってあった。下記が元々のベン・ニモの記事(古かったので拙稿はこれとは別の記事にリンクしていたが、せっかくなので原点を紹介。拙稿がリンクしている記事にもここへのリンクがある)。
Anatomy of an Info-War: How Russia’s Propaganda Machine Works, and How to Counter It
https://www.stopfake.org/en/anatomy-of-an-info-war-how-russia-s-propaganda-machine-works-and-how-to-counter-it/
本書164ページからの紹介では、オクスフォード大学のみが出典となっていたが、New Knowledge社("The Tactics & Tropes of the Internet Research Agency"、https://digitalcommons.unl.edu/senatedocs/2/)と、オクスフォード大学ネット世論操作プロジェクト(The IRA, Social Media and Political Polarization in the United States, 2012-2018"、https://comprop.oii.ox.ac.uk/research/ira-political-polarization/)がアメリカ上院情報活動特別委員会に提出したレポートをまとめたものである。これも同様のことが原因と思われる。
・ハイブリッド戦、超限戦、総力戦といった言葉や概念による整理はされていたが、より包括的なアプローチとして地政学がある。地政学的観点から整理してもよかったかもしれない。
・大西洋評議会のTHE KREMLIN’S TROJAN HORSES三部作など定番のネット世論操作基本資料が取り上げられていなかった。
本書のカバー範囲が広いので、そこまで手を広げると1冊に入りきらなかったのかもしれない。
ロシアの世論操作を暴く米シンクタンク報告「THE KREMLIN’S TROJAN HORSES 3.0」を読み解く
https://hbol.jp/pc/185416/
・ロシアのサイバー主権の主張については、ほぼその通りだと思うのだが、ロシアをインターネットから遮断するサイバー非対称戦略「The Russian National Segment of the Internet as a Source of Structural Cyber Asymmetry」も紹介するとよかったかもしれない。
・本書で紹介されているアメリカのシンクタンク「Technological Institute」とそのレポートが見つからなかったのですが、未読なのでレポートを読んでみたい。
●おわりに
著者のカバーしている範囲は私の扱っている範囲に近く(著者は専門家で私は門外漢という大きな違いはある)、その意味でも参考になった。そのせいか随所に拙著や拙稿が取り上げられていて恐縮した。ありがとうございます。
本書は包括的なテキストとして幅広く安全保障関係者やサイバー関係者に読まれるべきものと感じた。
なお、本書の刊行は育鵬社で発売は扶桑社となっていた。育鵬社は扶桑社の教科書事業を継承した100%子会社だそうである。
教科書事業の継続と新会社「育鵬社」の設立についてhttp://www.ikuhosha.co.jp/company/greeting.html
余談 著者は『現代戦争論―超「超限戦」- これが21世紀の戦いだ』という本も著している。こちらは渡部悦和との共著で中国の超限戦を題材とした本のようだ。私は未読だが、元となった『超限戦』の日本版には少しだけ関わりがあった。この本は一度日本語版が発刊されたものの長らく絶版となっていた。復刊を何度も担当編集者に必要とする人は多く、売れるだろうと説いていたのだ。その甲斐あって無事に復刊され、ベストセラーとなった。復刊をプッシュした私はカドブンで書評を書かせていただくことになった。
20年前の戦略書が日本と世界の「今」を解き明かしてくれる――『超限戦』https://kadobun.jp/reviews/5cimwltgqmko.html