『地図のない場所で眠りたい』。タイプの異なるふたりの探検家の対談本。
『地図のない場所で眠りたい』(高野秀行、角幡唯介、2017年9月1日、講談社)を読んだ。正直、なぜ読もうと思ったか、全く覚えていない。いつ買ったのかも覚えていない。タイトルだけ見て買ったような気もする。
高野秀行と角幡唯介という早稲田大学探検部OBのふたりの探検家が対談をしているだけの本だ。探検家はどうやって収入を得ているのか知らなかった。ぼんやりとスポンサーがつくんだろうなあ、くらいに思っていた。
この本を読むと、スポンサーがつく人もいるようだが、物書きで食っている人もいるようで、このふたりも収入源は物書きで、どちらもノンフィクションの賞を取っている。
極地に行ったり、アマゾンに行ったり、幻の生物を求めて彷徨ったり、ゴールデントライアングルに潜入して阿片生産に携わって自分も中毒になったりと、ふつうの人では考えもしないし、実行しないようなことをやる。
それも想像をはるかに下回る準備のもとで、というか、そもそも情報のない場所に行くので準備のしようがないし、事前に許可を取ろうとしてももらえないことがわかっているような場所に行くのである。
極地にいたってはコンパスも使えないし、地図はないし、そもそもあったとしても見渡す限り目印になるようなもののない世界なので役に立たない。文字通り前人未踏。そういうところにGPSを持たずに行って踏破する。しかも費用は自前、戻ってきて原稿を書いて裏なければ収入にならない。この人達の人生の半分以上は旅なのだろう。
そして、おそろしいほどに不謹慎で息をするように命を賭ける。探検家に取って、命がけというのはご飯にどのふりかけをかけるかくらいの重みしかなさそうだ。
そういうことを聞いて、わくわくする人にはうってつけの本である。
個人的にはメディアやジャーナリストが日常を取り上げないと言っていたのが、興味深かった。たとえば紛争地帯でも海水浴をしたり、市場で買い物をしたりする日常があるが、それは記事にはならない。常に目を引き、共感を呼ぶ悲惨な光景が求められる。じわじわとなにかが崩壊しつつあっても、崩壊してから記事にしようとする。当然と言えば当然なのだけど、非日常のきわみを旅するふたりがそう言うのはおもしろい。むしろ非日常のきわみの場所では流れる当たり前の日常が貴重なのかも。逆に日常に潜む非日常もまた探検の対象なのかも。デジタル影響工作ってまさにそうという気がする。