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流れるまま生きてみる
日々、生きていると、「目標を立ててそこに向かって頑張ろう!」といったキラキラした世界に触れることがある。
それはとても素晴らしいことだし、それで夢を叶えるために頑張っている人もいることは事実だし、生きる上で目標やゴールを設定して進んでいく姿はかっこいいなとも思う。
私自身、これまでも、夢や目標、やりたいことに向けて進んできたこともあるし、達成するために努力をしたことだってある。
特に看護師なんで、学生時代は修行僧なみの過酷さだったし、新人の頃は何度泣いたかわからない。
それがあるから今があるので、それはとても感謝しているけど、振り返れば、とても頑張って進んできたんだなとしみじみ感じている。
ただ、ここ最近、その目標に向かって進むということに、ひどく足が重くなっている私がいた。
疲れ過ぎているのか、自分を守る膜が薄くなっているのか…。要は、しんどい。しんどすぎる。
もう、今まで頑張ったし、もう頑張れないよ。頑張ろうとしても、穴が空いた風船のように、力を入れても、すぐ萎んでしまう。
仕事に対して頑張れないと相談役のスタッフに相談したら、「新たな目標がないからかもね」と言われた。
その時は、ああそうか、とも思ったけれど、後から段々、もっと頑張らないといけないのか?目標がない私が悪いのか?と心がざわついた。
そして思った。頑張るのやめようって。
頑張っている人を見ると、すごいな応援したいなって気持ちになるけど、目標があるのが当たり前、目標があるのが普通みたいな空気感があるのも否めないと思う。
同時に思うのが、息が苦しくなってしまうのは、おそらく目標のレベルが高いから。それも無意識に。
上の資格を目指して頑張る。
管理職を目指して頑張る。
たくさん資格を持って、SNSでキラキラしているような人になる。
夢をたくさん叶えて、悠々自適に暮らしているような人になる。
すごいよ、叶えている人は。
でも、そんな大きな目標を立てないとダメですか。
ずっとずっと、前向きに進んでいく人間にならないとダメですか。
いや、無理ー。
頑張りたくないわー。
限りある人生の中で、立ち止まって休憩する時間があってもいいんじゃないか。
だるいわーって思いながら、だらだらするのも大事なんじゃないか。
わからないことはわからないままでもいいじゃないか。わからないんだから。
わかった時に、きっと動き始めるから。
これをやる!って意志を固くしないで、川の流れのように、ふよふよふわふわしながら、たどり着く場所まで、柔らかく生きていくって決めた。
今まで、頑張ってやろうってここまできたから、これからは、もっと心も体も柔らかくする。あ、これって、今の私の目標になっているな。
目標はこれくらいが丁度いいね。
柔らかく、軽くならないと流れていかないよ。固くて重いと、深い場所に沈んじゃう。
もっともっと、流れるように生きていこう。