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【勉強】アイメッセージ

今日は心理学分野のお話。

早速ですが、質問です。
『アイメッセージ』という言葉を聞いたことがありますか?

『アイメッセージ』とは、
「私」を主語とした表現のことです。

対になる言葉として『ユーメッセージ』というものがあります。

つまり、この『アイ』は、私を意味する『I』、『ユー』は、あなたを意味する『YOU』のことです。

この言葉を、私はつい最近、とある記事の中で見つけました。
恥ずかしながら私はこの言葉を知らず、無意識に「へぇ〜」とか「ほぉ〜」と呟きながら、のめり込むようにその記事を読みました。

その記事は上司が部下に対して叱るという状況を想定して話が繰り広げられておりましたが、
私はそれを親としての自分と子供に対するものとして変換して読みました。

私はここ数年、子供に対して叱ってばかりいることに嫌気がさしていました。
しかし子供の態度は改まるどころか酷くなる一方。どうにかせねばと数々の本や記事を読んでいました。
読んだ時は「なるほど、そうすればいいのか!」とか「これは使えそうだ!」と感心して納得しても、いざヤンチャ坊主達を目の前にすると、それらの方法は一瞬にして頭の隅に追いやられ、いつものガミガミうるさい自分が出てきてしまいます。
そしてまた「やってしまった…」と後悔するのです。

私だって怒りたくない!
声を荒げてばかりなんて嫌だ!
でも、子供達の良くない行動を許すわけにはいかない…。

取り急ぎ私の頭の中で出た答えは、まず自分の心に余裕がないのが原因かもしれない!それの改善に努めてみよう!というものでした。
数分でも自分の心が落ち着きそうなことをしようと思い、大好きなノートを手に取るものの、子供達が寄ってきては「何、何?何してるの?」「私も描く!」とノートに書いた内容を覗き込まれ、落書きをされ…とても落ち着くどころの話ではありません。
大好きなものだからこそ、そんなことをされては余計に腹が立つ始末…。

他の趣味や好きなこと試そうかと思ったのですが、根本的にその時間を取ることもなかなか難しい状況です。
家事に追われ、子供達の世話をし、夕方から夜にかけてはほとんど体力は残っていません。
夜更かししてまでやるのはもう年齢的に身体がもちません。

私の趣味は種類も多いけれど、準備と実施にそれなりの時間がかかるものばかり。
上記のような状況ではそう簡単には出来ませんし、子供達に邪魔されないようにするとなると、やはり子供達が寝静まった時にするしかありません。

そんな風に考えては今日もダメだった…と嘆くこと数年…。
そんな状況を1日でも早く脱したいと思うけれどうまく行かない。
そんな時に出会ったのが『アイメッセージ』でした。

これもまた、実戦は大変難しいと思います。
しかし、考え方や具体例が分かりやすいモノは、頭が凝り固まってきた私にも受け入れやすい。
それを実践できる体調と心の調子にはだいぶ条件が付くけれど…
こういうことはすぐに効果が出るとは思ってはいけない。

人を変えたいなどとは傲慢だろう。
それがたとえ子供相手でも。
でもいけないことはいけないと教えなくてはいけないし、望ましい姿へと導くのが親の仕事ならば、私はそれをしなくてはならない。

親も人間。いつなんどきも仏のような優しい心と表情でいられるわけではない。
でもせめて…お風呂の間だけ、晩御飯の間だけなど、どこか一つの時間帯だけでもそれが出来れば私の子供達との関係も変わるはず。

前置きが大変長くなったが…
この『アイメッセージ』の良いところは、きちんと「理由」を伝えられて、子供に「考える」ことをさせる点にあると私は思う。

現状は、
「部屋が散らかってるよ。片付けなさい。」
しかし、本心は、
「部屋が散らかってるよ。(このままだと掃除ができなくて埃が溜まって咳や鼻水の原因になるから《※ウチの子はアレルギー持ち》)片付けなさい。」
という内容まで含まれている。
でも、それをいう余裕もこちらは持っていなかったし、子供もここまで聞く耳を持っていない。
しかし、子供は聞かないわけではない。
私が次に言うことがもうわかっているから聞こうとしない。

その内容がいつもと違えばきっと何事かと聞くと思う。
そして聞かれたらよほど機嫌が悪くない限り、自分の意見を言おうとするだろう。

子育てはいかに『待つ』ことができるかだとどこかで聞いたことがある。

私はそれが出来ていなくなっていたらしい。
昔はできていたのに。それだけ余裕がなくなったのだろう。

人に変わって欲しいならまずは自分から。
だいたい人を変えようとする必要はない。
自分の捉え方が変われば相手の態度も違う風に見えるハズ。

『あなた』は片付けなくてはいけない、宿題をしなくてはいけない。
ではなく、
『私』は〇〇という理由で片付けをして欲しい。〇〇という理由で宿題をやって欲しい。
と言う。

この『アイメッセージ』は怒りながら言おうとしても言えない内容だと思う。
この内容を怒りながら言おうとしたら、怒るではなく、諭すになる。
そういうことなのだろう。

それに、きちんと理由をつけられないのであれば、それを言おうとしている理由を今一度自分が考え直さなければならないということにもなるだろう。

この『アイメッセージ』、私にとってもカナリ大切なことが分かりそうな気がする。





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