共感の総量が変わらない
幼年時代に何かを美しいと感じて「綺麗」と伝え、相手も「綺麗」と言ったことのように
人間一人が得たい共感の総量は常に変わらないと思える
歳を経れば経るほど
質と鮮度の落ちた伝えることと伝わることが蔓延する
それらを多様な言葉や複雑な表現や理由や意味づけで衣付けし
幼少期から変わっていないはずの共感の総量をなんとか満たそうとしている
注がれるものは求めるべきでなく自然発生的であったこと
たとえ自然発生でなくとも自然発生であると環境が思わせたこと
それらが自立した感性を要求したこと
を
いつの間にか忘れていて
コップに水を注ごうとしたら
滝のような水を注がれる中
表面張力でぎりぎりを保つぐらいの
水を
注ぎたい 注がれたい
真夜中に
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