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まちの灯りガシャと日常
映画のレイトショーを見に行った。
大型ショッピングモールに併設されている映画館だ。
少し早めに着いたのでモールの中を一人フラフラと彷徨う。
店内はすでにクリスマス気分でそこらに装飾が飾ってある。
買いたいものもないのであてもなくトイレ横のガシャガシャをじっくり見てみたりする。
最近のガシャガシャはマニアックなものが多く、アニメキャラに混じってバスの降車ボタンやらそんなものが点在しているのが面白い。
そんな中で私が目を惹かれたのが「まちの灯り」ガシャだった。
街の灯り。なんて抽象的なんだ。何々の風景というガシャは数あれど街の灯りをガシャガシャにできるものなのか。
パッケージを良くみてみると、光の灯るスーパーやビルなど確かに街の灯りである。
まちの灯り。一個500円。
なんだろう、字にした時のこの良さ。宮沢賢治とかクラフトエヴィング商會の話の中に出てきそうな字面。高いのか安いのか分からないのもまた良い。
強いていうなら、このガシャとは大型ショッピングモールの一画でなく、寂れたアーケード街の路地裏とかそんなところで出会いたかった。あと老人がやってる廃れた玩具屋とか駄菓子屋とか。
だって街の灯りだよ。「クリスマスプレゼントに街の灯りをもらいました」ってすごく良い。
昭和の貧乏なカップルに結婚指輪の代わりにあげて欲しい。
「結婚指輪は買えないけどこれなら」って。
結婚指輪のかわりに街の灯り。なんて素晴らしい。
タイトルが「美しい夜景」とかじゃないのも良い。それだったら私は興味を持たなかった。その按配。企画した人に拍手を送りたい。
多分、子供より大人が買うのだろう。
街の灯りをそっと鞄にしまって電車に揺られて帰宅する。
街の灯りを買ったことを言っても良いし言わなくても良い気がする。
「街の灯り買ってきたよ」も良いし、ひそかに自分の中に街の灯りを灯すのも良い。
どちらにせよ、私達は既に街の灯りの一部なのだ。
なんて考えていたら、もうレイトショーの時間であった。
映画を見終えて外に出ると、極寒の中を街の灯りが灯っていた。
時間を確認するためにスマホを付けると手のひらに灯りが灯る。
また、街の灯りの一部へと私は帰るのだ。
私が街の灯りを買ったかどうかは秘密だ。