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最高にクールなヘアサロンの話

2019年9月― 渡豪してシドニーに到着した僕はrightかleftがやっと分かったくらいの状態で、その数日後には現場で覚えるスタイルの極みのような環境の下、必死で覚えたテンプレ接客英語をしゃべってスタイリストとして働いていた。

当時僕の働いていたサロンUSFIN atelierは顧客の99%が英語の職場だったので最初はかなり大変でした。それでも他の日本人スタッフ始め、“日本語がしゃべれるオーストラリア育ちのチャイニーズ”というマルチリンガルボスのサポートにより英会話も上達することが出来ました。

プライベートでは1ヶ月先に奥さんとその妹がシドニーに来ていて生活圏を整えてくれていたのも大きかったと思います。
なんなら奥さんの妹は英会話講師かつ海外留学歴もあったおかげで、最初は銀行や携帯などの契約すべてを手伝ってもらったので人生初の海外暮らしは思いの外すぐに適応することが出来ました。

義妹 奥さん 僕

会社や家族のおかげで結局一度も語学学校に通うことなく、毎日ひたすら仕事だけに集中させてもらえたのは本当に感謝しています。

働いていたサロンのある街 タウンホール

振り返るとなかなか大変でしたが「世界一クールなヘアサロンを目指している」と明言して進むボスとそこで働けた時間は自分の人生にかなり大きな影響を与えたと思います。

オーストラリアの日本人向けメディアJAMS TVにサロンワークを特集して頂いたこともあったし、

その他撮影やイベントなど…だいぶ内容の濃い美容師ライフを堪能した気がします。そもそも日々のサロンワーク自体がヘビーなので体力と精神力を使い切る毎日。仕事終わりはちょっとバーに寄って帰り、週に2日の休みは回復する為に家で寝ているような生活だった気がします。

それでも営業後や月一の練習会終わりにボスに様々な豪華ディナーに連れて行ってもらって

香港料理 四川の中華とは違うフルーティな美味さ

相当タウンホールの美味しいレストランを満喫した気がします。和、洋、中華、インドやタイ料理など…移民の多い街だからこそ輸入されたいろんな国の味を堪能することが出来たのがおもしろかったです。

wagyu(ワギュウ)という名のオージービーフ

お酒の好きな僕は仕事終わりによくボスに声を掛けてもらって、二人でバーに行って語らったりもしていました。

仕事終わり いきつけの店にて


何よりシドニーの仕事での一番の収穫は自分達でブランディングしていって、結果、商圏の他社とは違うブランドを確立出来たという経験だったと思います。
僕が参加した頃サロンは立ち上がってから2年で、移住してきた日本人美容師を雇うという特性上、まだいろんなことを構築していく最中でした。特にパンデミックの影響もあり途中からスタイリストはボスと僕と奥さんの3人という少人数体制になったり、スタッフの確保には苦労していました。

そんなサロンも僕が入って一年後くらいからmulletやwolf haircutといったエッジィな髪型が人気となり“レイヤースタイルならUSFIN”という認識が広まり、新規のお客さんは口を揃えて「他のとこではこういうスタイルをやってない」と言った。
シドニーの多くのサロンがバレイヤージュやビーチウェーブヘアに力を入れてる中、全頭に入ったハイレイヤーや毛先の先細りのテクスチャ、ブリーチデザインカラーといったスタイルを発信していたおかげで明確に他とは違う強みが出来上がっていたのだった。

他店と比べてわりと高い料金設定にも関わらず次の予約の空きは2~3週間先なんていうことになり、身を持ってブランディングというものの大切さを感じました。毎日予約が埋まった状態でスタートする上、長時間メニューが多かったので当日キャンセル出るのが密かに嬉しかったのを覚えています。(しかしレセプションによりキャンセル待ち予約が入るというファインプレーも起こる)

今考えてもすごく刺激的な環境に居たなと思うし、チームの一員として働けたことを誇りに思っています。
そして世界一を目指すボスの店は今もうすでに“シドニーで最高にクールなヘアサロン”にはなっていると、胸を張って言えます。

パンデミックが落ち着いてシドニーにお越しの際は是非USFIN atelierでヘアカットを。

その頃には世界一になっているかも知れませんね。

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