人はなぜネガティブな情報に集まるのか
5.29.金
おはようございます。
今日も朝から読書をしてnoteを書き始めていますが、7:30から部活のミーティングがあるため、朝のゴールデンタイム(起床後2時間)を勉強に費やすことができないので、
今日は「人はなぜネガティブに集まるのか」で書こうと思う。
まず自分がなぜこのテーマで書こうと思ったのか、から話すと昨日のweekly ochiaiが「インターネットの息苦しさを考える」というテーマで話し合っていたのですが、
この話を聞いて自分が疑問に思ったことがあった。
そしてそのヒントをふとした時に感じたのでここに書こうと思った。
なぜ人は集団になって自分とは関係のない人を誹謗中傷するのか
なぜ人はポジティブなニュースよりもネガティブなニュースに反応するのか
こういう人がいるためにメディアは注目を浴びようとしてネガティブなニュースばかりを扱ってしまう。扱うどころかネガティブな話を取りに行ってしまう。
この京アニの放火事件で親族にまで、心の傷をえぐるかのようにメディアが押し寄せてしまったのもそのためだろう。
テレビでよくしている誰かの不倫騒動やコロナウイルスの感染者数ばかりを報道してしまうことなども同様だ。
ここで自分が感じるのはなぜ人はそこまでネガティブな話に注目してしまうのか。ということである。
これに関して自分なりに結論を考えてみた。
自分が考える1つの要因としては、日本における神などの絶対的存在の不在により自分の立ち位置を人と比べることでしか確立できないからだと考える。
私たち日本人には全員が崇高する神のような絶対的存在はいない。もし絶対的存在がいれば私たちは一概には人と比べる必要性はなくなってくるはずである。
それがないために私たちは自分の立ち位置を人と比べ、自分より非難されている人をみると安心してしまう。
つまり
自分より人生が上手くいっている誰かを批判することで偽りの優越感に浸り、上手くいってない自分の人生を正当化して自己防衛する
これが人がなぜネガティブな話に注目するのかの大きな要素になるのではないかと考えた。
自分は何か人と比べて優越感に浸るような人間にはなりたくないと思う。