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さすらわず,流浪。
2024/12/4(水) AM11:18記
流浪つながりの浪漫譚が続きます。
昨日観たBRUTUSのYouTube。
素敵な本棚が紹介されていた。
本屋さんは『古本遊戯 流浪堂』。
田舎者の私は恥ずかしながら,この素敵な本屋さんを存じ上げませんでしたが,みんなでつくる学大高架下の公式noteから発信されている詳細記事をぜひお読み取りください。
【GAKUDAI PARKS TREET & STORIES】vol.3:古本遊戯 流浪堂
今回は,YouTubeで店主さんが発していた素敵な一節を粗々ですが文字起こししてみました。
「若い子たちにどうしたらいいのかっていうのをずっと考えています。
デジタルが先行してるので(本に)触れる機会が少ないと思うんですよね。
ジャケ買いじゃないですけど,とにかく表紙で触れてもらうっていうことは心がけてますね。
本を読んでいるから偉いわけでもないし,知的なわけでもないし,本が嫌いで読まなくても自分の道を生きている人はいるわけなんで。
ただなにかとっかかりになると思うんですよね。
読むとこう想像力,字で頭の中で描いていかなきゃいけないっていうのが大事だったのかなって思って。
けっこう記憶に残ってるというか。
そういうものが経験につながるんじゃないかなって強く感じていますね。自分もそうだったし。」
本当に仰る通りだと感じました。
前職の時は,活字に苦手意識もあったし,そもそも時間と余力がなかった。
でも今はお陰様で平日の日中は,数ページずつでも本を読み進められる余裕がある。
時間にも気持ちにも。
意図して字だけ音だけの媒体に触れるようにしている。
想像力を養うためや,記憶に残すため。
それだけが目的ではないし,難しいものに手を出してまで無理をしているわけでもなく,あくまで娯楽の副産物として捉えているのだけど。
でも,その副次的効果が話の引き出しを増やしたり,奥行きをもたらすことに一役買っていると言えなくもない。
そう考えているので,接客を生業としている私にはアナログ媒体に触れることは,必要条件なのかもしれない。
もう一つは,ジャケ買い。
これについても洋服屋に勤める私は共感を覚えた。
生産背景や着心地など目に見えない部分は,勿論重要な要素で,作り手の意思の熱量や濃度を下げることなくエンドユーザーに伝えることが使命だと思っている。
しかし,手に取って貰ったり試着して貰うためにはジャケ買いしてしまうような表紙の外観,つまり吊るしや畳みで置いてあるだけの見た目の美醜も,非常に大切なのである。
早い話が,中身も見た目もどっちも大事ということですね。
ECサイトで買い物する行為を,サブスクで閲覧する動画や電子書籍などのデジタル媒体に準えるとしたら,実店舗で対話しながらの買い物は,紙媒体の本を読むことに相当するのかななんて。
動画に音声や字幕まで付いた映像は,手放しで楽しめる便利さと気軽さがあって,それはそれで良いのですが私の場合,記憶や感動がすぐに抜けていってしまう。
また流れるでござるとさよならを告げて,流浪の旅へ,さすらい歩いていってしまうのだ。
る‐ろう〔‐ラウ〕【流浪】
[名](スル)住むところを定めず、さまよい歩くこと。「—の民」「諸国を—する」
学校の授業も先生方の負担軽減や印刷物のコストカットなど色々な利点を考慮し,タブレットが導入されている学校も珍しくないが,記憶の定着率はどうなのだろうか。
現状はメインというより補助ツールとして用いられている場合が多いとは思うが。
脱線してしまったが,本はその場にいながら旅ができる,さすらわずに流浪,言い換えれば頭の中でさすらえる,そんな媒体。
いやぁ,本って本当にいいものですねという話でした。
皆様のお気に入りの書籍があれば,ぜひコメント欄でご教示ください。
以上,なるべく多くの流浪に出られる人生でありますように。