看護師5年目に突入(ただの思いで話)
また新しい新人が、3人入ってきました。
そのうち1人のプリセプターをすることになりました。
これまた、ヤンキーぽい子で、またか!
と思いましたが、この子は見た目とは違って、真面目でした。
一生懸命やってました。
それでも、どういうわけか
新人とはどうあがいても
こういうものなのか?
周りのパワハラはありました。
新人はいかなる理由でもパワハラは受けるものだと実証されたと思いました。
もう1人は140センチしかなくて、点滴棒が届かなくて、My脚立みたいなのをセットで持ち歩き、ナースコールでも、
それ持って対処している姿は健気で頑張り屋で可愛く、それほどパワハラは受けず。
もう1人はプライドが高くて、打たれまくり、私も苦手でした。
時代は少しづつ変わってて、パワハラはマシになっていました。
5年目は私はさらに余裕が出てきて、
研修医や、若い子と交わるという興味も無くなって、
5年目は患者さんに改めて、目が向く様になり、患者さんと密に過ごせた最も楽しい時代でした。
生まれつき多発性脳動脈瘤という珍しい病名を持ち、脳出血しながらも生きながらえてて
四肢麻痺…呼吸器付けて喋ることはないけど、意識はある様な感じの患児14歳。
そこのお母さん(恐らく30代)と気が合って、よくお話ししていました。
このお母さんの旦那様は本当に優しくて良い方らしいのですが、
唯一辛かったのは姑と同居しており、嫁姑問題をずっと抱えているお母さんでした。
(この時代そういう方が多かったのです。)
たまたま、第二子をこんな病気で産んでしまって、殆ど患児と病院で共にする生活を長年されていて、
とにかく家で過ごしたくなかったので、病院を我が子と一緒にいられる「逃げ場」としていた様です。
この子をこんな風に産んでしまったのは姑のせいだとか
鬼瓦を見ると、姑を連想してしまう。
結婚してもずっと正社員でいたのは、鬼瓦のせいだとか
仕事終わってからも、ストレスで遠回りして
どこか一周してから帰っていたとか。
姑さんの話が多かった。
リハビリでかっこいい先生が来たとか、研修医の誰それがタイプとか、
新婚の時の話とか、キャピキャピ女同士話を咲かせていたら
ずっと無表情で、反応のなかった患児がお母さんと私の笑い声に反応して
呼吸器付けたまま、笑いにくそうに、カハハハハと、笑う様になって
酸素ボンベにジャクソンリース、SPO2付けて、日勤の時は毎度、散歩に連れ出して、楽しかったなぁ。
ミッキーが小児科に来たとかで、大急ぎで呼吸器付けた子供達をフル装備で移動させて、走ったけど間に合わなくて、
小児科しか回ってくれてなくて、
ガッカリした事とか。
あの1年は患者さんにとても寄り添えて楽しかったです。