初めての東京生活➕東京の大学病院へ
まずは新しい病院オリエンテーションへ。
記憶に残ってることとは
我が大学病院に使命を持って働いて欲しい。
神田川が氾濫する以外は絶対に出勤すること!
と言われました。
なんだが厳しそうな病院です。
外科病棟に配属されました。
しかも1番厳しいと噂されている科で、また、何でそんなところ。。。涙。
婦長はとっても若い人?若く見える人でした。
主任は優しいんだけど、キリシタンで何かが違う。
以下キリシタン主任と呼びます
もう1人の主任は、なんでこんな人が既婚なのかと疑うほど、意地悪そうな顔をした、ごぼうみたいな人です。しかも夫は教授なんだとか。
ごぼう主任と呼びます。
新人は私を含め4人。
1人は北海道大学、後の3人は本大学卒。
私は病棟では数少ない既婚者の一員。
25人中6人の既婚。
婦長は独身。
婦長が、凄く厳しいというか、癖のある、美意識が高く、実際に綺麗なんだけど、凄味の感じる人でした。
思い出すのも辛いけど、少し年上の既婚者が妊娠してて………にも関わらず、めちゃくちゃ婦長さんがその妊婦に
あれやれ!これやれ!と、勉強的な事を押し付けてきたり、嫌味(食べ過ぎや!太って当然やとか)言ったりで
めちゃ大変そうだったのと(勿論、妊婦は全然気にしていない風でした。)
少し上の笑顔の可愛い女性が、去年からここに来て、3回流産したとか。
つわりでトイレから出れなくなった夜勤中の事を相方にチクられて、これまた、婦長に目をつけられて、居どころが悪いみたいな事言ってて。
とにかくみんな、婦長にめちゃくちゃ気を遣っていた。
今まで、こぢんまりとした脳外科40床だったのに
いきなり外科の60床。呼吸器チーム、胃、大腸チーム、乳がんチームの3つが、あって、部屋が分かれている訳でもないし、
本当に大変すぎました。
手術から帰ってきた人は今までと違ってドレーンが腹部から沢山出ているし、何が何だか。
乳がんの末期に、大腸がんのストマの荒らし。
勉強しても、しても追いつけないし、おっかなびっくりを隠すので、精一杯。
大体ぶっつけ本番になってしまうし、自分が怖かった。
これじゃ、6年前の新人状態だ。せっかくの知識がほとんど生かされず、休みが待ち遠しいのに、休み明けが恐怖。
更に真っさらな新人じゃないからと夜勤は早めにデビューして、パンクしそう。
ただ、ここは東京なんだと実感する時が時々あった。
申し送りの喋り方がおかしい、と嫌みっぽく婦長に言われたり、夜勤の時の夜景が、さすが23区内!
本当に美しく、眠らぬ街東京と言う感じでした。
夫は夫で通勤電車の中で新聞をこんな風に折りたたんで読む人がいる、とジェスチャーして笑っていました。
新婚で気を利かせているのか、知らないけど私の休みは土日ばかりで、夫と毎週出かけていました。
何もかも新しくて嬉しいはずなのに、確実に疲れが溜まっていたのか、夫に笑わなくなったね、とか、せっかく休みで遊びに来たのに。
と言われると苦しくなって「何かね、明日のこと考えると緊張しちゃって辛いんだ。」と言ってしまった記憶があります。
夫は「僕はね、嫌なことは、寝たら忘れられるタイプなんだ。」
と言った。
「私も普段はそうなんだけどね、今回は、、、、、、何だか無理みたい。はは。」
話しを変えて夫に「好きな女性のタイプは?」と聞くと
「背の高い女性かなー」と言ったのが心の傷になりました。
私はちっこいです。
この言葉後々引っかかりが、取り消せなくなりました。
癒されない。
東京生活のスタートは、明らかに、私の方が病んでいました。
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