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死産後のメンタル落ち込み期を救ってくれたものたち

昨年、11月末に死産してメンタルの低迷期を過ごしました。
死産というセンセーショナルで、ドラマチックで、救いようのない経験をしましたが、人生は続いていく。

私は感情的ではなく、どちらかというと論理的な人間なので、悲嘆に暮れるだけではなく、起きた事象に対していろんな咀嚼や解釈をして、整理してきました。
割れる前の皿には二度ともどれませんが、金を継いでもとの機能を再現できるように、私もまた立ち直ってきています。

辛い時期を通して救われたものが多数あったので共有します。

▼過去の死産の記録についてはこちら
12wでの人工死産-陽性発覚から染色体検査結果までの記録|イッチ 30歳/一生仕事したい女|note


同じ思いをした人の体験談を読む

検索は工夫しないと、医療機関の資料などがメインになってしまうので、noteのタグで「死産」「中期中絶」「流産」などを検索していろんな方の経験談を読んでいました。
宣告された直後は”これから何が起こるのか”を知る手段となったし、辛い経験をしているのが私だけではない事実に救われました。
死産後の記録も、それぞれにストーリーがあって、前に進むイメージが持てました。

当時読ませていただいて救われた記事をいくつか紹介します。
noteのタグ機能にかなり救われました……。そして今も、新たに更新された体験談を読んで、同時期に同じような経験をされた方がいたりして、この経験を一人で抱えずに共有して、でも一人ひとりで乗り越えていくんだ、と思っています。

紹介しきれないですが、経験を共有してくださる方々に本当に救われました。それぞれが健やかに、幸せに過ごされていることを祈りたいです。

音楽を聴く

体験談を読んで救われていたように、私は言葉に強い思いがあり、音楽も同様に救いになりました。

別に全く同じ経験をしていなくても、歌詞のフレーズに共感を得ていました。ただ、入院中は以下で紹介する「さよーならまたいつか!」の一曲だけをずっと聞いてました。他もたくさん大好きな曲はあったけれど、辛すぎる状況だと頭の処理が追いつかなかったし、変に言葉に自分を重ねて辛くなったりしたので、とにかく一曲をずっと聞いていました。

「人が宣う地獄の先にこそわたしは春をみる」
「生まれた日から私でいたんだ」
私は今回の死産を一つの事象として捉えていて、それは分娩処置の入院のときも変わりませんでした。これだけの地獄を見るけど、時間が経てば春がくる、と繰り返し自分に言い聞かせていました。
そして、起きたことは逃げようのない自分自身に起きたことであるとも思っていました。辛いけれど、これも人生だ、私の人生だ、と号泣しながら陣痛を待っていたのを思い出します。

地獄でなぜ悪いは年末年始から聞き始めました。
星野源がくも膜下出血の闘病中に書いた歌詞ですが、自分の今の気持ちにピッタリでヘビロテしています。
「無駄だ ここは元から楽しい地獄だ」
「ただ地獄を進む者が 悲しい記憶に勝つ」
「同じ地獄で待つ」
星野源の曲は他も好きなものは多くて、人間はどこまでも孤独なことや、人生への諦観と愛を併せ持った人なのかなと思っていました。
私も、死産は地獄だと表現していました。noteにも地獄と書いたし、死産時にヘビロテしていたさよーならまたいつか!の”地獄”というキーワードにも共感していたし、私にとってのあの経験は「地獄」だったのだと思います。

でも、「ここは元から楽しい地獄」だったな、と曲をきいて思いました。
死産じゃなくても、星野源のくも膜下出血という生死にかかわる大病のように、生きていれば辛いことは必ず起きる。気のない顔をした町ゆく人々は、顔に出さないだけで、辛い経験をしている人がたくさんいる。私も群衆に混じれば、気のない顔をするように。
今幸せに見えるだれかも、辛い思いをしていた私も、それぞれ人生に波はあるけれど、どうせみんな同じ地獄に生きているんだったわ、そういえば、と前向きな気持ちになれる曲でした。

「同じ地獄で待つ」というのも恨みつらみのニュアンスには感じなくて、”こちらを地獄とみているだろうけれど、この世はどこも平等に地獄なんだよ”という諭すような表現を感じます。
私のことを心配してくれたり、一方で触れない人にも、全員に、どうせこの世は地獄ですよ~とポジティブなニュアンスで言いたいものです。

哲学者のことばを読む

もともと哲学が好きだったので、退院後の眠れない夜は哲学者たちに救いをもとめました。高校のときに倫理を履修した私は、「私が悩んでいることって昔の人がすでに悩んで答え出してるんや」と思いました。
命がめぐる中で、世の中は変われど、人間が悩むことは一緒なんですよね。私は、哲学とは別ですが孫子の兵法が大好きで何度も読んでいますが、仕事の本質が書いてあります。
本によって、巨人の肩の上にのることができます。

エッセンシャル版なので1時間もあれば通読してしまいましたが、人と別れる苦しみが不変であることを感じました。
ブッダは執着を捨てることを説いていますが、人間である限り執着は捨てられないわけで、私が死産で辛かったのも一種の執着だったと思います。
執着を捨てなさい、とブッダが説いても、執着を捨てられない私は、事象をありのままに捉えて、盛大に悲しんで生きていくしかないよな…とも思いました。
ちなみにマルクスの自省録も併せて読もうとしましたが、自分を自分で叱咤激励する内容で、あまりにも言葉が鋭かったので底メンタルの私には読むのが辛かったです。

生物の仕組を知る

私の死産は染色体異常による心奇形とそれによる心不全が理由だったので、染色体やら遺伝子やらを紐解くと太古から続く生殖の仕組みに興味が湧いてきました。もともと、ホモサピエンス史を読んだりと人間の来し方には興味があったので、経験をトリガーにさらに興味を持ちました。

YouTube動画で「なぜ性別が男と女だけなのか」やら「生物が存在するのは地球だけなのか」などをキャッチ-に説明してくれる動画があって、退院して帰宅後はそれらをひたすら見ていました。

私が刺さったのは、もともと無性生殖しかなかったいきものが、遺伝子を交換することで環境変化に打ち勝とうと遺伝情報の塊である配偶子の交換=生殖という超高等技術を生み出したという話でした。
高等技術である配偶子の交換において、染色体のコピーエラーが一定発生する、というのは仕方ないことなのだなあと思えました。
弱い個体が自然淘汰されるのは当たり前だと思える合理性が私にはあって、生物の機能としての不完全さもまた遺伝子の合理化故なのだな、だから今回おきた染色体異常は仕方ないことだったな、と思えました。
淘汰される当たり前をたまたま引いてしまったのは、私もまた人間という種の一員として仕方ないことだったと思います。

動画に関連して、リチャード・ドーキンスの「利己的な遺伝子」という本に興味が湧いてきたので、こちらは後日読書感想文を共有したいなと思います。
われわれ動物は遺伝情報の乗り物にすぎない話です。

以上、私の心を救ったまとめでした。
もともと人生を俯瞰してみる癖があったので、今回もまたそのようにして立ち直れてきたのだと思います。

状況や人によって、立ち直り方に差があると思うので、私の経験が参考になる方がいれば幸いです。

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