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ポプラ社「#こんな学校あったらいいな」 卒業文集届きましたᕕ( ᐛ )ᕗ
どどん!!
裏もどん!!
かわいいねᕕ( ᐛ )ᕗ
こんなに卒業文集っぽい卒業文集になってるとは。
挿絵もついてました。
載っけていいかな。見せたいので載っけます。
かわいすぎるのですが。
シュウタくんの表情、いいね。
久住卓也さんが描いてくれたそうです。すごい。Thank you so much.
「#こんな学校あったらいいな」の大賞、編集部賞の皆さんの作品が載ってました。
これのやつです。
卒業文集なので、勝手にみんなと同窓生みたいなきもちになってます。
どの作品もnoteで読ませてもらって、みんな面白いな〜すごい、と思ってたけど、紙で読むとやっぱりまた違う感じで惹き込まれる。
今さら感がすごいけど、一つ一つゆっくり読んで、感想を伝えたいと思ったので、これまた勝手に書かせていただくとします。
大賞、わんたろうくんの作品。
わんたろうくん、作文用紙に書いたのかな。
私は子どものころ、作文とか読書感想文がめちゃくちゃ苦手だったから、自由な発想を文字に落とせる人を尊敬している。
「子どもって大人にはない自由な発想があるからいいよね」と言ってしまえばそれまでだけど、大人も子どもも、素直な感性があってもそれを率直に表現することって難しい。
この作品のすごいと思う部分は、ファンタジックな世界を描いてるのに、イメージがとても具体的なところ。
わんたろうくんの中でこの世界がすごく広がっている。
彼は、イメージの中の生き物たちや周りの行動を詳細に観察している。
そしてそれを読者に教えてくれている。
いいなあ、と思った。
ガザミってなんや、と思った。
わんたろうくん、海にいい思い出があるんだろうなあ、本当に海が好きなんだろうなあというのが伝わってくる。
もしかしたらどっか、小さい島国とかに、こんな学校あるかもしれないよね。
『大大大』の意味。はらまさかずさん。
文集の挿絵もかわいかったけど、noteの猫の絵もかわいいね。
なんと、コロナ禍の中お話を届けるためにnote発信を始めたんですね。
このお話にも、心意気にも、作者さんのやさしさが伝わってくる。
コロナ禍という現実と、ねこが文字を書くという非現実が組み合わさってて、自分もクラスメイトの一人になったような気分で読んだ。
自分ごとだけど、実家に猫が5匹いて、そのうちの末猫がめちゃめちゃ大福みたいな猫だから重ねて読んでしまった。
大福が、自分が書ける『大』の文字で気持ちを精一杯伝えようとするところ、ウルっときたよ。
字の書き方にも、感情って現れちゃうんだよね。
これ読んだ人は「福」って字、覚えたね。笑
そんでこれ読んで、自分も頑張ろうって思えてきたね。
今みんな大変だけど、大福こんなに頑張ってるから頑張ろうってね。
うまくいかなくてもビリビリに破かないで頑張ろうってね。
やる気が出ない時はこのお話を読むことにする。
やっぱり食べ物は人をつなげる。yukiさん。
こんなに世界中の人たちが集う教室、日本にあるのかなあ。
もうちょっと先、こういう教室が当たり前の時代がくるんかな。
だったらめっちゃ楽しいよね。
食文化も世界をみたら色々あるわけで、ベジタリアンとか、ハラールとか、日本でもヴィーガンとかがそんなに目新しくもなくなってきたね。
それぞれルールがあってこれは食べられないとか調理方法とか、あるわけだけど、それを制約と捉えるんじゃなくて、発展させていくヒントだと捉えると、食の世界も広がるね。
私も大学時代、ハラールの友達がいて、私は私でベジタリアンになりたくて、ハラールのラーメン屋さん行ったり、豆腐で餃子作ってみたりとか、そうじゃなかったら出会わなかった発見は色々とあった。
こうしていけばいい!っていうアイデアがお話の中に散りばめられていて、本当に、近い将来こうなっていきそうだなって感じた。
そんでもって、このお話に出てきたむちゃうま料理、むちゃ食べたい。
食べ物って映画とかドラマで印象的に映ったりするけど、小説で表現するのってむちゃ難しいと思うんだな。
このお話はテンポよく進めながら料理のようすを緻密に表現してて、全然知らない料理ばっかりなのに「いいなあ〜…混ざりたい…食べたい...」って思っちゃったもんね。
マーラーカオ、作ってみようかな。(料理できないけど……)
思春期の心の揺れ。東雲さん。
このお話、noteで読んだ時もグッときた。
AIと人間の心をテーマにしている話はよくあるかもしれないけど、このお話はAIの生き物に対して思春期の心の動きを繊細に捉えている。
非日常の中の日常。
日常の中に非日常を持ってくる作家さんは多いけど、非日常を日常の世界として描くことのできる作家さんはけっこう稀有なんじゃないかなと思う。
まず読者に説明するのが難しい。
このお話は『ナビゲーションAI』のいる学校をすごく自然に語っている。
そんでもって、このナビゲーションAIに対して主人公の感情の揺れがまた思春期の不安定さとか、新しい生活の緊張感を上手に表している。
友達に何気に言われたひと言で、めちゃくちゃ悩んじゃったりするのよね。
周りの目を気にしちゃったりするのよね。
『キューイ』っていう名前も絶妙だよね。
先生の『音声出力』『プログラミング』っていう発言と、主人公のキューイに対する生き物としての感覚がいい対比になっていた。
『いのちの重さ』という表現がさらっと入っている。
もし音声出力できてたら「キューイ、キューイ」って鳴くんかな。
それはそれでかわいいけど、鳴かずにじっとそばにいるからこそ、余計に、友達でもペットでもない、そういう何かじゃないけどずっと傍にいる「何か」っていう存在になってるんかなと思う。
心の動きを上手に捉えてる作品はいいよね。
私もこういう話を書いてみたいと思った。
必要な、愛すべきポンコツ。RINGORINGOさん。
読んだ時、私のと設定がちょっと似ててドキッとした。笑
(パクったわけじゃないです笑)
そんで、あ〜なるほど、と思った。
思うところがあって、子どもの頃って、ちゃんとした大人にしか会わないよな〜って。
親とか、学校の先生とか。習い事の先生とか。
いやもちろんちゃんとしてるしてないじゃ区切れないわけだけど、家庭を持って、社会的に自立して、そういう大人ばっかり見てきて。
いざ自分が大人になってみたら、あれ、家庭持つのってめっちゃ大変じゃん。自分の生活費自分で稼ぐとか、無理じゃん。周りの大人たちは当然のようにやってたのに、ってなる。
本当は、上手くいってない人たち、ちょっとだらしない人たちはいっぱい社会に隠れてて、でもその人たちは子どもたちからあんまり近くないところにいる。
だから、大人になったら周りの大人みたいにちゃんとしてるはず、って思うのに、大人になってみて自分だけが大人になってないような感覚になったりする。
(私だけですかな)
そういう、普段子どもたちと関わることのない大人たちが、世の中ちゃんとしてない大人で溢れてるよ〜って子どもの大人に対する世界を広げていくことって、実はけっこう重要なんじゃないかと思っている。
おじさん、だらしないけど、こういうだらしない大人たちでけっこう成り立ってるのよね。
そんでもって学校でも社会でもちゃんとしていることを求められてる中、だらしなくいられることってめちゃめちゃ強さなのよね。
大人も子どもも、心のままに生きようね。
心が楽になるお話でした。
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もちろん作品のよしあしは、選ばれたか選ばれなかったかじゃ決まらず、いい作品がもっともっと埋もれてるんだな〜と思う。
応募総数3000云々件もあるので全然読み切れないが(改めて、選評する人ってすごいな......)、また面白い話を見つけられたらな〜と思う。
ポプラ社さんもコロナ禍で色々大変だったんじゃないかなと思うところだけど、その中でコンテスト開催して、卒業文集まで作って送ってくれたこと、すごく感謝してます。
利益重視の昨今でこのコロナ禍にぶち当たって、不要不急が本当は必要不可欠だったって、気づいた人も多いんじゃないかなと思う。
記事を書いて選ばれても、記事を選んで文集を作っても、どっちも1円にもならないわけだけど、書いたり読んだり、選んだり選ばれなかったり、そういうの、楽しいよね。心動くね。
心動くものって絶対必要なんだよね。
この文集は大切に本棚にしまっておきます。
そんで時々読み返してにやにやしたいと思います。