おとなはあんまり大人じゃない。
大学2年生の時、社会人劇団に参加していた時期があった。
その団員さんの一人にコンビニでジュースをおごってもらったことがあって、会計を済ませた時に、ふと、その人が
「おれね、大人になったな~と思うのは、nanacoに1万円をチャージするようになったとき」
と言っていて、
なるほど、大人とはそういうものなのか、と大人になったばかりの私は感じていた。
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子どもの時は、大人は何でも知っている、大人の言うことは正しい、と信じている。
でも、中学生になれば
「中学生って子どもじゃん」
と思うし、
高校生になれば
「高校生って子どもじゃん」
と思うし、
成人したところで
「え?私って大人の部類なの?にわかに信じがたい」
としか思わない。
子どものときわからなかったことは、大人になればわかるだろうって思っていて、
そのうちやりたいな~と思っていたことはそれなりのタイミングでやるだろうと思っていた。
この事実は子どもの私を深く傷つけてしまうかもしれないけど、
大人になっても全然やらんし、全くわからん。
小学生の頃、ふと疑問に思っていたことがあった。
「地球温暖化」というものが進んでいて、「地球がだんだん暖まって、このままだと危ない」という。
その「地球温暖化」というものと、
「地球は太陽の熱で暖められている」
「惑星のなかで、地球しか生き物が住めない」
という知識がリンクして、
「もしかして、一番最初は水星に生き物が住んでて、でも太陽が大きくなって、次は金星が住みやすい温度になって、でもまた太陽が大きくなって、それで今地球に至っているのでは??地球が温暖化で住めなくなったら次は火星がちょうどいい温度になるのでは??」
と閃いた。
だがしかし、そんなちょっとの知識から得られた仮説など、誰かに話しても「どゆこと?」で終わるのでは...
もっといろんなことを知ったらきっと答えがわかるはず。
というようなことを子どもなりに考えた。
だがしかし、ワタクシ、天文学に全く興味がない。
大人になればわかっているだろうと思われたこの仮説、大人になった私は肯定も否定もできない。
今の私が、この頃の私に「どう思う?」と聞かれたら、
「いや、う~ん、どうだろうねえ」
としか答えられない。
結局、大人というものは、子どもに少し毛が生えた程度で(大人になって毛がおさらばする方もいらっしゃいますが)、そんなに変わることはない。
たぶん、これからもそうなのだろうと思う。
「大人になったものだ」と実感するときは、「大人って存外子どもだな」と思うときである。
三十にして立てるでしょうか。