能力に対する罪悪感。
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小学生だか中学生のときに、「お父さんが医者だから勉強教えてもらえるんでしょ?」みたいなことを言われたことがある。
当時の私は内なるプライドが高めの人間だったから「1回も教わったことないわ。自分でやってんだわ」と心の内で思いつつ「お父さん仕事終わったら寝っ転がって酒飲んですぐ寝てるで」と返した記憶がある。
まあ実際父から勉強を教わってるわけじゃなかったんだけど、今になって思うと、家庭環境とか、経済的にそれなりに安定してることだとか、環境に恵まれていないと勉強できるようにはならなかったし、勉強を頑張ろうともしなかったと思う。
自分の力でやってて、努力の結果だと思ってたけど、実際環境の力ってほんとに大きい。
今はダンス留学してるけど、1年かけて上達しても「親がお金持ってたから留学できて、留学したからそんなにうまくなったんでしょ」と言われても何も返す言葉がない。その通りです、としか言えない。
結局、自分がどんなに努力していろんな能力を身につけたとしても、それは、そういうことができるだけの環境にいたということで、別に私が何か人より秀でているとかそういうことの証明にはならない。
だから自分の持っている能力をどんなに上げていったとしても、それで自尊心を高めることはできない。
むしろ、能力を上げるということが、それだけ人より恵まれた環境を与えられているということの証拠になってしまって、自分が何かに秀でるということが、自分以上の環境を与えられなかった人に対する罪悪感になってしまう。
頑張れば頑張るほど、頑張ることのできる環境にいてしまって申し訳ない、というか。
でもだからといって自ら努力をやめることはできない。
それができるほど私の自尊心は高くないし、それこそ皆が皆申し訳ないからと言って自ら恵まれない環境に身を置くことなどできない。
(どういう環境が恵まれているというのかを一概には言えないけど、中には生まれた瞬間に親に殺されてしまう者もいるし、戦争の中や飢餓の中で暮らしている者もいる)
ただ自分の能力や努力を全て自分の力によるものだと勘違いして、それが自分が人より秀でていることの証明だと思って、異なる環境に身を置く人たちに誇示するものではない。
でも人は、というか動物全般は基本的に他者より自分が、強い、能力を持っているということを誇示したくて、それによって自尊心を高めたり、自分の存在意義を感じている。
自分が、自分の力で築き上げてきた能力だと思ってきたことが、そうじゃないと認識するのはなかなかショッキングなこと。
でもそれは逆も然り。
自分を圧倒するような能力を持つ者に出会ったとしても、自分がその人より劣っているというわけではなくて、ただその人が自分を圧倒するだけの能力を持てるような場所にいたというだけのこと。
だから、能力、結果だけを見て優れているとか、劣っているとか、そういうことに捕われる必要はない。
そもそも人は人である限り、そんなに差なんてない。
そんなことを言うと、じゃあ能力を上げることに意味があるのかとか、なんで上を目指すんだろう、とか思ってしまって何もやる気が出なくなってしまうこともある。(私が好例ʕ •́ω•̀ ₎)
別にやりたくなければやらなきゃいい、と思う。
そもそも「上を目指す」の「上」って1人1人違っていて、自分の思う上下のものさしで人と自分を比べたってしょうがない。
地球はまるい。
北を上だと思って、ひたすら北極を目指して歩いている人からしたら、南極に向かって突き進んでいく人は滑稽に映っているかもしれない。
でも南極に進んでいる人にとってはそっちが上なのかもしれない。
ただ行きたいところに行けばいいと思う。
進みたければ進めばいいし、進んでもしょうがない、ここにいたいと思えばそのままそこにいるのもいい。
自分の好きな国に、好きな世界に行けばいいと思う。
努力は、他者より上に行くためじゃなくて、自分の好きな場所に向かうためにするものだと思う。
良いこと言ったな。