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“百聞は一見に如かず”、とは限らない。(9/1 一部修正)

子どもの頃、母にはほとんどテレビを見せて
もらったことがない。具合がよくなくて学校を
休んだときにNHK教育テレビを見せられた程度。

友達のテレビの話題についていけなかったのが
子どもの頃さみしかったけれど、習慣的に見る
ことがなかったのには教育熱心だった母の意図
とは別のところで....コマーシャルに影響されない
ことなど.....メリットもあったと後になって思った。

無防備で受動的な状態のときに目から耳から
入ってくるものの影響は大きいから。

その後も、結婚していた短い期間を除きテレビとは
あまり縁がなかった。(広告関係のこともしていた
元夫は仕事柄テレビをつけていることが多かった。)

映画はひとりでも観に行く位好きだったけれど、
産後はじめて映画館に行くまでには
数年のブランクがあった。

数年振りの映画館では
ルーブル美術館の舞台裏を描いた作品と
パリ・オペラ座バレエ団ダンサー達の作品を観て、
観方がすっかり変わってしまっているのに気づいた。

映画の中に以前のようにはのめりこまない、
観察者的な視点になっている。
周りで撮影しているスタッフ達の息遣いというか
気配のようなものも合わせて感じてしまう。

映像作品を習慣的に観ることから長らく離れていた
というのもあるかもしれないし、ある速読を通じて
周辺視野も自然に使うようになってきたことで
根本的に見方が変化していたのも
あるかもしれない。

(そういえば、その速読の奥深さに魅了され
見え方が開発されていった結果、「美人」の
見え方感じ方も変わったことを覚えている。)


今になってそれを思い出すのは
最近つくづく映像や文字“情報”を
鵜呑みにできないと思うから。

映画も、スクリーンに映っているものの周りに、
スタッフ達がいたり他の背景があり、
さらにそれを含むもっと大きな背景がある。
そしてそこにはレイヤーがある。

単純にそれはフィクションかもしれないし、
たとえフェイクでないものを見ていたしても
部分的にしか見ていなかったら、
見落としているものが多くて、
更に先入観や記憶からくるフィルターが入った
ときの判断は、事実や真実からは程遠いものと
なったりする。

たとえば...、自社の製品を接種していない、そう
P社CEO本人が言っているインタビュー動画を
元にした指摘に対し、ある人は接種中のCEOの
写真入りファクトチェックを出してくる。でも
その製品の中身は代替品の可能性もある。
そもそもファクトチェッカーの信頼性は?
バックにいる人達、スポンサーは?意図は??

背景で何が起こっているのか
全貌をつかむのは雲をつかむようなものかも。

フィルターをクリアにしていきながら
大きな視点で全体を観よう/
感じようとする姿勢や、

報道を鵜呑みにはしない冷静さ、
知っているつもりにならない謙虚さが
今とても必要とされていると感じる。

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〜Kyoko🇳🇱オランダ在住HSPヒーラー

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