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50歳から大学で学ぶ意義 #未来のためにできること
ひょんなことから勉強を始めた。GEDというアメリカの高校卒業と同等の学力があることを証明する資格を取り、コミュニティカレッジでフルタイムの学生をしている。この先は、四年生の大学への編入も視野に入れている。
私は社会に出て、仕事をし、旅もたくさんし、多くの人に出会い、そのすべての経験が私の人生を豊かにしているが、50歳にしてカレッジで勉強していると、まだまだ知らない多くのことに触れて、喜びと興奮の日々を送っている。
最初の学期で統計学を取った。想像以上に面白く、夢中になって勉強し、全てのテストが満点というクラスで一番の成績だった。それがあまりにも嬉しくて、次の学期は数学を取った。十代の頃の私とは、全く違う私を経験している。勉強は嫌いで落ちこぼれだった。ところが今回は優等生という立場にいる。
すべてのクラスが、とても興味深いのだが、特に数学は楽しくて宿題を終えても、まだ問題を解きたくて仕方がないくらいに。専攻も数学にして、今後も数学を勉強する予定だ。
数学を専攻しても、将来は先生になるくらいだよ。と言われたが、本当にそうなのだろうか?しかも私が四年生の大学を卒業する頃は、定年退職の年齢に近い。その年齢でなぜ勉強するのか。そんなことも聞かれた。
それでも未来のためにできることの一つは、学ぶことだと思っている。
例えば、SDG’sと聞いて、何かすぐに答えられる人はどのくらいいるのだろう?もっと言えば、どのくらいの人がその真意を理解しているのだろうか?いろいろな角度から持続可能な社会を目指すために何が必要か、そういうことを理解し、それを広め、伝えていくためにも、高等教育を受けることは未来のためになると信じている。
そして、シニアになった時、得た知識を活かして、死ぬ直前まで社会に貢献している自分の姿が見えるようになった。カレッジで学び始めて、自分の未来が明るいと思えた。
死ぬまで、イキイキと暮らし、その生き方がこれからの人々の一つのモデルになれたら、それはある意味、持続可能な社会を築く上で戦力が増えるわけなので、とてもやりがいがあることではないか。
私は、この先も大学で勉強し続ける。幾つになっても学ぶことは遅くないという手本になり、得た知識や経験をフルに社会で活かしていけたら、それは私が未来のためにできることだ。