涙がとまらない時
こんにちは、さっきまで昨日からずっと泣いていました。笑(あまり笑えない)
このノートに自分のマイナス、ネガティブな事を書いて、客観視し始めてから
涙がとまりました。
自分がしてきたこと、これまでの経験、を考えながら打っていたらまた、少し整理された。
いつもならノートとペンで吐き出すようにしているんですが、
向き合う気にもなれなかった。
ただPCは少し感覚が違うから面白い。
武器が2つある感じです。
今は鬱状態なんだけど、悲しい、苦しいことの中にも必死で頑張ってきた自分がいて、(無理はしていたけど”いい”と思うものにはぶつかっていっていまいした、結果が無でも)
人様に誇れる経験、道筋ではないと思っているんだけど
”頑張った”ことは頑張ったことに過ぎないから認めて、ぷいっとなった自分も、怖かった自分も、全部認めて、
今残った強みを新たに、また構築していければいいかなと思っている。
普通の人や、強い人、大丈夫な人に見られたい、見せたいと思って頑張ってきたんだけど、
めちゃくちゃ弱いし、不器用で怖がり。
人からの愛情もこわがっていたから、安心できない。
こんな自分、この自分も私で、愛着障害かもしれないけど、どの医者にみてもらおうかとか分からない。
けど、結局は工程は同じと思う、
認めて、許して、一緒に前を見ていけるように進めていく。
恥ずかしいけど人が怖い、好きな人気になる人であればあるほど。
けど基本ベースが整っていなかったら怖くなって当たり前だよね。
頼りたいけど、頼らなかった自分もまた自分。
強いことに憧れて強がることで強くなった気でいたけど、それもまた自分。
かっこ悪いし、弱虫だし、恥ずかしいやつ、未熟者。
誰だって認めたくないし、親にもその姿を見せて叩かれてきたから処理が出来ないままになっていたのかも。
幼少期、自分が一番つらい時に、寂しい、辛いが言えなくて自己嫌悪している時にその状態を親に責められたら行き場所もなくなって当然だよ。
今思い浮かぶのはそういった些細な経験。生きていても無意味だ、とか言いながら、死ぬ勇気もない自分。
皮肉にも今も全く同じ感じ。
だからといって親を憎んで生きるのも疲れる。自分の人生に何かを憎んだりずっと怒ったり抵抗することにメリットはないように思ってる。
スッキリした人生、まっさらな人生を生きる、自分の身の丈にあった人生を生きるためにも、許諾したうえでいらないものは捨てていきたい。