不良マンガに夢中になれないという話と、時々『おジャ魔女どれみ』の話 [ほぼ毎日書くコラム]

これは高校生の時の話、その日の僕は始業時間ギリギリ間に合うかどうかの電車に乗って、学校に向かっていた。普段は余裕を持って学校に行っていたんだけど、その日は寝坊によって間に合うかどうか怪しい時間に家を出ることになったのだ。
しかしながら、焦る僕とは裏腹に電車は急に止まってしまう。いわゆる「車両間隔の調整」というやつで、一時的に運行を中止してしまったのだ。よりによってこんな日に……。結果電車が駅に到着したのは始業時間の10分後、僕は遅延証明をもらって早歩きで学校に向かうことになった。

その道すがら、僕は同級生に遭遇した。彼らは僕を見かけると声をかけてきた。そしてコンビニに寄っていかないか、と提案してきた。
彼らの論理は「既に遅延証明をもらっている以上、追加で数分遅刻しても問題ない。どうせなら寄り道してゆっくり行こう」というものだった。僕は少し悩んでから、ここで同級生の誘いを断るのもなんだか感じが悪い気がして話に乗っかって彼らとコンビニに入店した。
だが、当然ながら特に用のないコンビニに行ってもやることはなかった。僕はその状況に早々に飽き、あーだこーだと言いながらお菓子やら弁当やらを物色している同級生に対して「先行くわ」と言い残して学校に向かうことにした。

当時何を考えていたのか今でもなんとなく覚えている。僕の頭の中にあったのは「この時間に親の払った学費が無駄になっている」ということだ。
親が汗水垂らして払ってくれた学費のおかげで、僕らは学校で授業を受けることができている。それを日々痛感しながら学校生活を送っていたわけではないのだけど、なんとなくこの考えは頭の片隅に常にあり、最低限それをドブに捨てるようなことはしてはいけないとは思っていた。だから、どうしてもこの“無意味にコンビニに寄る”という状況に僕は耐えることができなかったのだ。

僕は“不良”というものがあまり好きになれない。ヤンキー漫画などを読んでいてもどうにも夢中になれない。
さも「俺たちは自立した大人です」みたいな顔をして毎日喧嘩に明け暮れていようとも、この人たちは親に学費を払ってもらっているという事実が脳裏をかすめて萎えた気持ちになる。「そういう偉そうな面は社会に出て、自分の生活を自分で成り立たせてからしろよ」というのがヤンキー漫画を読んでいる時の僕の胸中だ。

なんてことを、コンビニに寄った彼らは考えないんだろうな。そもそも親に学費払ってもらっているという意識もあまりないんだろうな、なんてことを思った。
これに関しては、僕の考えが歪んでいて、彼らの感覚が一般的なんだろうけども……。これは自覚して生きていた方がいい気がしている。

これは余談なんだけど、一人だけ好きな不良がいる。それは『おジャ魔女どれみ』に登場する矢田まさるだ。彼はなんだかんだ言ってきちんと学校にきて授業を受けている。その上で不良を貫いているのはえらいな、なんてことを思うのだった。

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