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大阪中之島美術館『TRIO パリ東京大阪モダンアートコレクション』

本展では、3館のコレクションから共通点のある作品でトリオ(3点1組)をつくり、構成するという、これまでにないユニークな展示により、コレクションの新たな魅力を浮かび上がらせます。思いがけない作品の組み合わせによる新鮮な化学反応をお楽しみいただき、お気に入りの作品を見つけていただければ幸いです。

公式サイトより

東京でも大盛況だった展覧会の巡回展。

出ている作品はどれも一級品、それらを共通点のあるものにグルーピングして見せる、言わば松岡正剛的編集の妙で、楽しい展覧会。

オールスター出演のお祭り映画のようで、どれもこれも目を楽しませてくれる。同じグループに並べられた作品との類似性や差異から、批評的な鑑賞に導かれるのもよく練られている。

中でも、デュフィ「電気の精」の存在感が強烈だった。展示されているのは小振りに複製した作品だったけれども、それでも圧巻。そしていつか実物を観てみたいなあという思いが募る。

楽しい楽しいと観て回って、最後の映像作品に辿り着いて、大きなうっちゃりを喰らわされる。

ジュリアン・ディスクリ「Marathon Life」は、とかくマラソンに譬えられる人生を、本当にマラソンしながら語ってみせるというワンアイデア勝負の作品。テレビのマラソン中継をつい見入ってしまうように、不思議と目が離せない。しかしそこに何か批評的なものがあるようには思えず、アイデアの面白さだけだとも感じる。

一方、出光真子「主婦の一日」は、ありふれた主婦の一日の行動を映しつつ、そこに常に主婦を見つめる“目”がつきまとう不穏さ。主婦という存在に向けられる社会からの眼差しと、とりあえずは受け止める。しかし同時にそれは、家庭内から発せられる視線でもあり、主婦自身が生み出すものでもありうる。極めて批評的な作品。

惜しむらくは、性行為という、“主婦”にとって大きな意味を持つ行為が抜け落ちているところ。何も下世話な下心から言うのではない。セックスという問題をスルーして、主婦という存在、家庭という共同体、社会という規矩を射通す批評性は、成り立たないだろう。性行為というという場で、主婦に向けられる視線、求められる規範(それらは主婦自身に内面化され錯綜することもある)への批評まで踏み込んで欲しかった。

最近存在感を増している映像作家・百瀬文「Socail Dance」は、他の二作をさらに凌駕して、圧倒的。聾者の女性と聴者の恋人とのコミュニケーションのズレ、断絶。愛し合うはずの二人の間に生まれる抑圧。手話で思いの丈を伝えようとする女性の手を押さえつける男性の手。意図せざる暴力の発現。重苦しく生々しい。この一作で、ここまでの当展覧会の印象も吹き飛ぶ。鋭い問いかけを投げかけられて、重い足取りで会場を出ることになる。百瀬文、これからも注目していきたい。

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