芝木好子「洲崎パラダイス」

「橋を渡ったら、お終いよ。あそこは女の人生の一番おしまいなんだから」(「洲崎界隈」より)。
江東区にあった赤線地帯「洲崎パラダイス」を舞台に、華やいだ淫蕩の街で生きる女たちを描いた短篇集。男に執着する娼婦あがりの女の業に迫る表題作「洲崎パラダイス」、満洲帰りで遊郭に身を落とした老女の悲しみをとらえた「洲崎の女」を含む全6篇を収録。

1954年発表作。「青果の市」から13年が経ち、戦争は終わって、人々は傷付いた身体と心を引きずって、壊れた街で生きている。

読む前はタイトルの些か能天気さに惑わされていたけれど、これは素晴らしい戦後文学作品の達成だ。

芝木好子は1914年生とのことなので、がっつり“第一次戦後派”世代なのである。

濃厚に戦争の傷跡が残る洲崎で、様々な男と女の、様々な人生の道行が、交わり、すれ違い、やがてまた離れていく。

どの作も本当に素晴らしいのだけれど、戦争で片目を失った男と、空襲で人生を狂わされた女の情交を描いたタイトル作とも言うべき「洲崎の女」が白眉か。読み終えて、戦争の残酷さ、虚しさ、生きることの苦しさ、切なさ、尊さ。いろんな想いが太い奔流となって心を押し流す。

洲崎に辿り着いた若い少女の成長を描いた「蝶になるまで」も忘れ難い読後感。おぼこい田舎出の少女が、殻を脱ぎ捨ててしたたかな大人の女性への一歩を踏み出す、その存在感のたくましさ。

芝木好子は、銃後の立場から愚かな戦争と戦後日本の社会の実相を描く。第一次戦後派の作家たちが、自身の兵役体験から出発し、戦後社会に謂わば自己を拒絶する外部として対峙したのに対して、芝木は、常にその内部に身を置き、内部から日本戦後社会を射抜く。その言葉の射程の深さは比類無い。

傑作だ、揺るぎない傑作。

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