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堀江敏幸 訳『土左日記』

土佐国司の任を終えて京に戻るまでの55日間を描く、日本最古の日記文学を試みに満ちた新訳で味わう。貫之の生涯に添い、自問の声を聞き、その内面を想像して書かれた緒言と結言を合わせて収録。

池澤夏樹編集の『日本文学全集』の中の一冊として刊行されたものの文庫版。

この『全集』には、角田光代訳の『源氏物語』など、現代作家による古典翻訳もいくつも収録されている。

他の翻訳がどうなのかは未確認だけれど、この『土左日記』は、翻訳というよりは堀江敏幸による読解、批評として読まれるべきもののように思える。

端的に言って、原文に即した訳ではなく、堀江の創作めいた注釈が随所に散りばめられている。

原典である『土左日記』の面白味が何処にあるのか、僕には分からない。女文字(平仮名)で書かれた最初の文学作品、などという文学史的な位置が、直ちに作品の魅力となるわけでもない。

しかしこの堀江訳の『土左日記』は、頗る付きに面白かった。巻措く能わず、という表現が比喩ではなく、本当に一気読みさせられた。

老年に差し掛かった男が、揺れ動く船の中で、時に女に成り代わって男である自分を批評的に観る。船が揺れるように視点も揺れる。

喪ったものの創る心の空隙、言葉の源泉とはそこにしかない。確固たる自己などというマッチョな幻想から遠く離れて、現実と空想の狭間のあわいを揺蕩うように紡がれる言葉たち。

短いテクストながら、言葉によって語る(騙る)という行為のゼロ地点を明らかにしようとする、刺激に満ちた文学的試み。興奮しながら読み終えました。

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