『黙されたことば』長田弘

表紙にクレーの「忘れっぽい天使」があしらわれた、白い、みすず書房らしい装幀の単行本。残念ながら新刊での入手はもうできないので、白いカバーがクリーム色に褪せた古書で購入。

長田弘は大好きな詩人の一人、僕の人生においてもっともたくさん読んでいる詩人だ。

にも関わらず、長田弘の魅力について誰かに伝えようとする時、口篭り言葉は澱む。

何しろ長田弘の言葉は、分かりやす過ぎるのだ。仮初めにも詩を名乗るなら、象徴詩や現代詩までとは言わないけれど、言葉が言葉を越えて、ただ意味を伝えるだけでない何物かになる瞬間を垣間見せて欲しいじゃないか。

しかし長田弘の詩は、平易な表現に終始して、言葉が言葉以外のものになろうとする瞬間のスリリングさが、欠片もない。

だから長らく僕は長田弘を遠ざけてきた。二十代の頃には長田弘と聞いただけで眉を顰めたりもした。

それが、いつの頃からか、長田弘の言葉に響く、なにか深いものに魅せられるようになっていた。

長田弘の言葉は確かに平易すぎる。にも関わらず、長田弘の詩は、スリリングだ。

ちょうどこの本の表紙のクレーの絵が、少ない描線だけで、忘れっぽい天使の、ついうっかり大事なことを忘れてしまったことへの自責の念を、見事に浮き彫りにしているように。

天使が何を忘れてしまっていたのか?については、吉田秀和の秀逸なエセー「クレーの跡」が明晰にして指摘している。

哀れな人間たちは、忘れっぽい天使が、ついうっかりしている間に、大変なことをおっぱじめ、幾千万という同類たちを殺戮しだしたのである。

「クレーの跡」(『ソロモンの歌|一本の木』講談社文芸文庫)


クレーがシンプル名描線で深い人間への洞察と批判を描いたように、長田弘の言葉は、飾り立てない素直さで、やはり人間を描く。

人間の優しさも暖かさも愚かさも冷たさも、長田弘の詩は隠すところなく暴き立てる。

長田弘の詩が、単に甘ったるい人生訓やべたついた人間讃歌と画されていることを読み取るには、読む者にも人生の経験が必要なんだろうと思う。

この詩集は主にクラシックの偉大な作曲家の生き様や作品をモチーフにした詩が収められている。音楽という、言葉にならないものについて語る時、言葉は沈黙せざるを得ない。その深い諦念が、この詩集の魅力となっている。相変わらず素晴らしい詩集だった。

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