国立国際美術館『コレクションⅠ 彼女の肖像』
展のコンセプトに沿った作品もあるけれど、何故これが“彼女の肖像”になるのかな?と分からないものもある。
前半は比較的“分かりやすい”気がする。作品のコンセプトが展覧会のコンセプトと響き合っているように感じられて。特にアンディ・ウォーホルやソフィ・カルの作品たち。
後半になっていくと、そもそもどう受け止めて良いのか戸惑う作品が増えてくる。
例えば久保田成子の映像作品。癌で亡くなる直前の父親の様子と、亡くなった後の自分自身の慟哭。韓国へ里帰りする夫(ナム・ジュン・パイク)が親族や旧友と再会したり先祖の墓参りをする様子を撮影したもの。いずれも極めてプライベートな映像で、これらをどう観れば良いのか?
宮本隆司『九龍城砦』の一連の写真には、女性はあまり映っていない。なぜこれらの写真が“彼女の肖像”なのだろうか?
もちろん、そこには意図的なキュレーションがあるはずだけれども、それが観る側に伝わるかどうかは受け手の側のアートに関する素養にも依るのだろう。今の僕では理解出来ないことも多いけれど、いつかふと「あ、そういうことか」と思い当たることもあるかもしれない。
印象に残ったのは、台湾に出稼ぎに来ている人たちが眠っている間に観る夢について語る饒加恩(ジャオ・チアエン)『レム睡眠』、沖縄の墓の前で素足の女性が踊る様子を捉えた山城知佳子『BORDER』、いずれも映像作品で、『塩田千春 つながる私(アイ)』『TRIO展』から続いてこの日は映像作品をよく観た一日になった。
常設展示のマーク・マンダースもとても良かった。
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