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黒沢清『ダゲレオタイプの女』
「岸辺の旅」で2015年・第65回カンヌ国際映画祭ある視点部門監督賞を受賞した黒沢清監督が、オール外国人キャスト、全編フランス語で撮りあげた初の海外作品。世界最古の写真撮影方法「ダゲレオタイプ」が引き寄せる愛と死を描いたホラーラブストーリー。
確かに幽霊譚というかゴースト・ストーリーなのでホラーカテゴリーかもしれんけど、全く怖くない。むしろ幻想小説的な味わい。
面白かったー。
『岸辺の旅』と通底するところのあるストーリー、『岸辺の旅』は確か原作モノやったけど、こちらは黒沢清のオリジナルで、構想もかなり前からあったそうなので、『岸辺の旅』の柳の下の二匹目のドジョウではない。
それにしても耽美な映像が続くことよ。眼福とはこの映画のために用意されていた言葉だ。
『DOOR Ⅲ』や『クリーピー』のゴシック風味のおどろおどろしい部屋とは違って、今作でメインの舞台となる古い屋敷の内装や調度品はとても上品で、ヨーロッパらしさ満開。今作でのパリでの撮影経験が『蛇の道』リメイク版に繋がったんやろうなあ。
森や街の風景も本当に美しくて、黒沢清の美的センスの素晴らしさよ。大きなスクリーンで観たかったなあ。
ちょい長いしいろいろ瑕疵はあるだろうけど、真っ直ぐな(ホンマか?)恋愛ストーリーとしてとても楽しめました。ヒロインの女性もチャーミング、ベッドシーン(ちょっとだけ)はドキドキ。でもベッドシーンはなくても良かったんじゃ笑
あと、ヒロインの階段落ちのシーンは、スタントなしなのかしら?かなりド派手な落ち方してるけど。
『岸辺の旅』も本作も、愛する人を喪うという経験を人はどう受け止めていくのか、愛するということの意味とは、ということを問いかけて、長田弘の「花を持って、会いにゆく」という詩と響き合うよう。
この詩はクリムトの花や植物を描いた絵とコラボした詩画集『詩ふたつ』に収められている。クリムトの描く美しい植物も、映画でヒロインが愛する植物たちと響き合っている。
![](https://assets.st-note.com/img/1729316981-1lYEdVtwHZIDpya04WCxqUbs.jpg)
春の日、あなたに会いにゆく。
あなたは、なくなった人である。
どこにもいない人である。
どこにもいない人に会いにゆく。
きれいな水と、
きれいな花を、手に持って。
どこにもいない?
違うと、なくなった人は言う。
どこにもいないのではない。
どこにもゆかないのだ。
いつも、ここにいる。
歩くことは、しなくなった。
歩くことをやめて、
はじめて知ったことがある。
歩くことは、ここではないどこかへ、
遠いどこかへ、遠くへ、遠くへ、
どんどんゆくことだと、そう思っていた。
そうでないということに気づいたのは、
死んでからだった。もう、
どこにもゆかないし、
どんな遠くへもゆくことはない。
そうと知ったときに、
じぶんの、いま、いる、
ここが、じぶんのゆきついた、
いちばん遠い場所であることに気づいた。
この世から一番遠い場所が、
ほんとうは、この世に
いちばん近い場所だということに。
生きるとは、年をとるということだ。
死んだら、年をとらないのだ。
十歳で死んだ
人生の最初の友人は、
いまでも十歳のままだ。
病に苦しんで
なくなった母は、
死んで、また元気になった。
死ではなく、その人が
じぶんのなかにのこしていった
たしかな記憶を、わたしは信じる。
ことばって、何だと思う?
けっしてことばにできない思いが、
ここにあると指すのが、ことばだ。
話すこともなかった人とだって、
語らうことができると知ったのも、
死んでからだった。
春の木々の
枝々が競いあって、
霞む空をつかもうとしている。
春の日、あなたに会いにゆく。
きれいな水と、
きれいな花を、手に持って。