アートの未来はアートではない-アートは世界のいたるところに存在する

筆者は広告会社に勤務している。広告コミュニケーションの分野はインターネットの登場以来その変革を余儀なくされている。そのような状況の中、変化の本質を見抜いた名言として、レイ・イナモト氏の「広告の未来は広告ではない」というのがある。ごく簡単にいえば、インターネットの登場によって、広告はもはやいわゆる4マス媒体(テレビ、ラジオ、新聞、雑誌)だけにとどまるのではなく、SNSなどを通して様々なメディアが広告としてのコンタクトポイントになり得る、ということだったと理解している。

それに倣って言えば、アートの未来像も、現代美術の登場を持ち出すまでもなく、もはやいわゆるアート然としたアートのみならず様々な表現領域に広がっていること、それは今後もさらに広がることはあっても狭まるであろうことはないことを考えると、アートの未来像も今後さらに(アート然とした)アートからは乖離していくであろうというのは容易に考らえる。

そんなことを考えている折、本日(7/4)より世田谷美術館にて「作品のない展示室」展が開催される。

本展はこれまではあまり作品としては鑑賞されることのなかった「場」としての展示室自体を鑑賞してもらおうとする趣旨のようである。もちろん建築は作品であるので当然鑑賞の対象であるが、しかし、本展が特徴的なのは、作家が作品を美術館、ギャラリーに展示し、それ(のみ)を鑑賞者が「アートとして」鑑賞、購入するという旧来の芸術鑑賞のサイクル自体をもはや古めかしいものに感じてしまわせる、これまで鑑賞者が作品として認識していないものをアートと認識される新しい試みではないかと思う。

民藝やアウトサイダーアートの例にもみられるように、アートとはそもそも存在していたものを、私たちが「アート」として取り上げ、認識(あるいは認定)したものがアートとなっている(呼ばれている)とも言えるのではないだろうか。それゆえ、現代美術の登場のように概念の広がりによって、「アート」と認識されるものが広がっていくのであれば、今後「アート」は世界中のいたるところに存在するのではないだろうか。

いや、むしろこの世に存在している様々な人間諸行(行い、想像)のうちに、すでに「アート」は無数に存在している(いた)のではないだろうか。現代美術の発展とはそれを見つけ出す過程だったのではないだろうか。

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