オンライン雑談をやります。
誰に向けた情報なのか、特に考えて居ないのですが
「記事を書いてみませんか?」という提案を頂いたので書いてみようかと思います。
今晩、メーリングリストに登録してくれている方を対象に「オンライン雑談会」をやります。オンラインサロンというのとは同じなのかしら?
記事を書いている糠信は、その辺りの言葉の使い方が分かっていません。
「カッコイイ表現がいいな」という気持ちもありつつ、
「カッコだけで中身が伴っていないとしたら寂しいな」という気持ちもあります。いい言葉を見つけてくれた方、ぜひご一報ください。
さて、雑談という言葉で想起するのは”雑談力”というワード。
「そんなチカラがあるのか!」と驚きましたが、確かに「何気ないことを話すこと」・「大切なことを何気なく話すこと」はビジネスにおいてだけでなく全ての人間関係に係ることだと思います。これが上手くできる人は、きっと様々な人と円滑なコミュニケーションがとれるんだろうな、と思います。
去年、仙台であった日本精神科医学会の講演で人工知能のエンジニアであり「妻のトリセツ」「夫のトリセツ」「家族のトリセツ」などのベストセラーを出されている黒川伊保子さんのお話が印象的でした。すごく感銘を受けたはずなのに「こんな話だったんです!」と出てこない自分自身がとてもモドカシイ。でも、その中で「心理的安全性」というのは例えば、「昨日見た夢の話しをして「だから何!?」と言われないような関係」という内容がありました。確かに、下らない(ような)ことも話せる関係って、素敵だよなと感じました。
先日、病院実習でデイケアの利用者さんと会話した学生さんが「雑談しただけでした」と報告してきたので、「君は雑談の意義を深く考えたことがるのか!精神的な病気や生きづらさを抱えている方が、何気ない話を出来ることにどれだけの価値があると思っているんだ!君自身だって、「精神疾患を持っている人とは、あまり話が出来ないんじゃないか」なんて先入観に囚われていたのではないのか?その蒙を啓いてくれた利用者さんとの会話の時間を雑談という表現でまとめてしまってよいのか!」と、努めて穏やかな口調で伝えました。(「伝えた」のと「伝わった」にはギャップがあるものなので、”先生は興奮気味だった”と学生さんは感じたかもしれません。・・・教員は時に役者もします。)
カウンセリング・精神療法・心理療法など様々な表現がありますが、要は「話をする」という意味では共通するものだと思います。観察や判断、目的などはもちろんそれぞれですが。「話をすれば解決するわけではないかもしれないけれど、話をしたら少し元気になった」とか「悩んでいるのは自分だけじゃないんだなと安心した」といった効果が得られたら、その会話は意義のある素敵な時間なのだと思います。
そんなこんなで、告知でした。