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ありもしない「正しさ」を必死で追い求めているような気がする。

もうずっと、ありもしない「正しさ」を必死で追い求めているような気がする。
けれどそんなものどこにも存在しないので、結局何もできないままだ。
私の手元にあるものは何もかも未熟で、不完全で、取るに足らないものに見え、そんなものを世に出すなんて嘲笑の的でとんでもないのではと不安で仕方ない。
不安だから、何をするにも必死で「〇〇 やり方」で検索して、ハウツーを探し、誰かの言う正しい〇〇に倣って、正しくない自分に落ち込む。

インターネットが普及して誰もが発信できるようになったことで、ずいぶん便利になったけれど、それまで気にしたことも無かったようなことも気にかけなければならなくなった。
魚を取るのに上等の釣り道具は与えられても、肝心の使い方をまるで教えてもらえなかった私には、誰かが流すハウツーは本当に助かるもので、子供の頃にこの環境があればなぁと思う。
けれど、その分全てがベストを尽くさなければいけない、それが当たり前で、みんなが同じようにそうしなければならないとがんじがらめになっていやしないかとふと気付く。
気付いたところで既に手遅れで、頭はすっかり「正しくあらねばならない」に絡めとられている。

今の世の中にあるものは、みな洗練されていて、便利で清潔で無害で安全できちんとしていて、そういう完璧なものを次々と生み出せなくては流れの早い現代では失格なのだと。
正しくなければ間違いで、間違えることは悪いことで、完璧でなければ意味がない。
息苦しい。当たり前だ。
こんな考え方をしていたら地獄真っ逆さま、健康な人でもうつになる。
人間は不合理な存在だと紀元前に結論が出ている。
完璧な人なんていない。完全な正しさもない。最高効率なんか求めなくていい。
もっとゆるく生きたい。

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