ヒーローのいない世界
こんにちは。こんばんは。おはようございます。
歪花です。
2023年10月7日、カウンセリング結果から、今日の記事を書きたいと思います。
誰も救われない世界
季節の変わり目故なのか、最近は周りで状態を崩す人が多発しています。
そして、年末に向けて事業は繁忙状態の鼻先を見せ始め、混乱と混沌の雰囲気を漂わせています。
私はというと、仕事を随分と削って、勉強に打ち込む日々。
とはいえ、何か殺伐とした戦いの中にいる訳ではなく、学習内容と、そのハックの方法を探りながら、攻略ゲームを進めているような、そんな感覚で生きています。
相変わらず家は汚いですが、ヘルパーさんが入ってくれるようになったので、少しずつ状況を取り戻しつつあり、訪問看護の体制が出来たお陰で、生活の安全度も高まってきています。
お金に関しても先月の運用も、所有事業の成績もまずまずの成果を得るに至ったので、正直、目先の心配は要らない程度の状態ではあります。
私は少しずつ、安全圏内に移動しながら、周りの人々、病気に苦しむ人々や、仕事で苦しむ人々、お金で苦しむ人々の悲鳴を聞いている…
家族も私の傷病や特性を理解する事が出来ずに困っている。
そんな状況の中で私は少しずつ、生活を改善する術を身につけ、そのルートに乗りつつあります。
私は誰も救えない
昔、誰かが言いました。
「人を救う為にはまず、自分が救われなければならない」と。
私はそれが大嘘だと思っています。
仕事の事を思い返せば、私が潰れたお陰で、多くの人は潰れずに済んだ。
逆に今は、私が回復していく最中、多くの人達が潰れようとしているように思います。
私は多数を救う為の生贄だったのかも知れない。そう思っていました。
そして、生贄が自らの命を労う時、その効力を失った集団は崩壊に向かっていく。
誰かに尽くす為にかける命を大切にする事は、その無理にでも人を救おうとする事によって、救われてきた人々の命綱を外す。
つまりは「自分が救われる事を大切にする人」は「自らを顧みない人」に比べて、圧倒的に救える人の量も質も低下する。
私は以前、生贄だったし、生贄はある視点においてはヒーローだったんだと。
まるで現代社会における特攻隊員のような、そんな生き方をしてきました。
誰も救わない世界
今の私は私を生贄に捧げる事をやめました。
そこには気持ち悪くなる程の罪悪感がありました。
自分を救えるかも分からないまま、人を救う事も放棄して、自分自身の「改善」を生きる事は、ヒーローになるよりも勇気の要る選択になりました。
その選択の切り替えは今も続いていて、私を常に疲弊させています。
それでも受け入れなければならないのは
「私はヒーローでは無い世界」であり
「ヒーローのいない世界」なのだと思います。
ヒーローがいなくても救われる世界
これは以前投稿した「どうにかなる思考」にも通じる事ですが、私の前に在る世界は、ヒーローも生贄も必要としていないのではないか、とも考えてみる事にしました。
私はきっと、私の為にヒーローで居ようとしていただけで
私はきっと、私の為に生贄であろうとしていただけで
世界はそれを必要としていない、と信じてみる。
きっと、幾つかの物事は崩れてしまうだろうし、多少の悲しい想いもするかも知れません。
それでも、根本として、世界はきっと、ヒーローを必要としていない、と、信じる事が
今、私の治療には、今、大切な事なのだと思います。
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