Vol.2 小倉(こごい)の謎を解く~現在把握している情報 紀州藩~
ある日の衝動で自分の名前について調べることにした。その動機は前回まとめている。また謎の書籍「小倉(こごい)の謎を解く」は国会図書館で閲覧できることが判明した。抽選の結果、今週末入館できることになった。
未だ同じ名前に出会ったことがない。ネット検索でもでてこない。唯一、「山梨県」がルーツであることが分かっている。この書籍のサブタイトルも山梨県北部といったキーワードが記されている。
ここで祖父、父から得ている情報をまとめておく
祖父より
かつて高校の教師だった祖父は、学校のネットワークにより同じ性の方を探したことがある。大阪で一人会ったことがあるらしい。私もごく最近、仕事関係の方から学生時代、同じマンションに小倉と書いてこごいと読む方が居たと情報を得た。また何か分かったら連絡すると言われたが未だない。知ってどうするか。ルーツを知るために話を聞いてみたい。
父より
父はインターネットが無いころからかなり調べている。
和歌山県立図書館で祖先である「小倉惣兵衛」の名を紀州藩の名簿から見つける。
南紀徳川史に徳川頼宣が和歌山に移るときに連れてきた家来の名簿に記載されている。和歌山に実家があるのはこれが理由だ。
武士であることは分かっていた。家には家宝として刀が2本ある。本来は10本あったのだが泥棒に一度盗まれている。これは幼かったころ、かすかに覚えている。警察は捜査したが今も見つかっていない。
祖父が和歌山の刀屋で意気投合した人に出会う。刀を見せて欲しいと言われ、その日に招いたのだ。心の優しかった祖父はその見知らぬ人を泊めた。そしてその夜に盗まれる。祖母から殺されずに済んだだけでもよかったと言ったのが今でも覚えている。祖父は一番よいとされる2本の刀は別に保管していたので盗まれずにすんだ。
かつては和歌山城近くに住んでいたことも判明されている。これはたまたま住宅案内の新聞チラシを父がみたことで詳細な位置まで判明した。
このチラシから、これと同じ地図を購入し位置を確認
当時の地図をインターネットで探し、別の地図でも確認できた。
また、小倉惣兵衛の身分は旗本の中の寄合らしい。この辺の階級については詳しくないので省略する。
お墓も今は取り壊したが、かなり大きなお墓だった。小倉惣兵衛の墓だと思うが、取り壊した際に江戸時代に埋められたとされる人が入れるぐらいの壺が出てきたらしい。こういった刀やお墓から紀州藩の武士であったことは間違いない。
次に祖父がまとめた家系図が紙に記され残っている。
私は13代目らしい。そして謎なのがかつては「林」という性だった。途中から「小倉」に変わっている。
親戚も少なく、代々、1つの家系できている。父の代で私と弟の2世帯になったようだ。
小倉惣兵衛が徳川頼宣について来たのは分かったが、どこから来たかは不明。
山梨なのかどうか。
なぜ、山梨かは、かつて小倉村という村があったと父から聞いている。今は検索しても出てこない。こごえと発音していたとも言われている。実際、現在も山梨県北杜市須玉町小倉上小倉の小倉はこごえと読み存在している。
山梨から和歌山に移ってきた仮説。
祖先は武士であった。
初めは林という名字だった。
なぜ、こごいと読むのか
山梨にどのような由来があるのか
調べていく
次回vol.3 書籍「小倉(こごい)の謎を解く」に国会図書館で出会うにつづく