『緋色のヴェネチア』塩野七生(雪組公演『ヴェネチアの紋章』原作)
雪組公演『ヴェネチアの紋章』の原作だったので、読んでみました。
ブローデル『地中海』を読まないと…まではいわないまでも、割と複雑な時代背景があるので、そこら辺どうだったんだろ…と思いましたが、脚本と演出が素晴らしく、皆さんスッキリ理解なさったみたいで良かったです。で、さらに理解を深めために、ご参考になれば…と感じたのが塩野七生さんの当時の時代のまとめとエピローグ。
ヴェネチアなどイタリアの都市国家はトルコ、スペイン、フランス、オーストリアに囲まれていたんですが、27歳という若き神聖ローマ皇帝兼スペイン王カール5世の軍が「ローマ略奪」を行った1527年当時の君主は、オスマントルコがスレイマン(33歳)、フランスがフランソワ1世(33歳)、オーストリアのフェルディナント1世 (後に神聖ローマ皇帝)が23歳と皆若く、比較的聡明でした。
長命が予想される若き専制君主に囲まれ、しかも、時代は封建制から官僚を使った絶対王権に向かって行く中、交易を中心とする都市国家として生きながらえていくことはヴェネチアにとって大変なこと。ヴェネチアは元首アンドレア・グリッティの元、協調外交を繰り広げるわけですが、絶対絶命となるスペインとオーストリアからの挟撃を避けるために、息子(庶子)でイスタンブールで商人として成功していたアルヴィーゼ・グリッティはウィーン包囲で圧力をかけるスレイマンからハンガリー大公に任命され、オーストリアを牽制して挟撃を防ぐ、というのが話しの骨格。
ベネチアの法律では、庶子であるアルヴィーゼ・グリッティは政治に参加する権利を持てなかったので、イスタンブールに渡り、商業に従事していましたが、皮肉にもそこで政治的キャリアを持つ機会を得たわけです。史実では、オスマン帝国のスルタンとヨーロッパ諸国の間の仲介などを行うのですが、その時代の最も重要な政治問題のひとつと考えられていたのが「ハンガリー問題」。そこで彼はオスマントルコの力によって王となっていたヤーノシュ1世を補佐するハンガリー大公となり、さらには王位まで狙った、と。
こうしたステータスはトルコから得たもので、実際、彼は「名誉なこと」と考えていたようで、彼は「知識に富んだ創意工夫」でさらに高い評価を得ていきます。
もちろん、そこには恋愛や友情がからむのですが、それは読んでのお楽しみ。
それにしても、アルヴィーゼ・グリッティは魅力的な人物です。インターネットで調べたぐらいですが、彼はベイオール(Beyoglu、貴族の息子)として知られて背が高く、美しい黒髪の持ち主だったようです。主演の彩風咲奈さんも、この線に沿ってビジュアルを整えています。
『緋色のヴェネチア』が書かれたのは1988年、その前の1981-2年に出された『海の都の物語 ヴェネチア共和国の一千年』では、アルヴィーゼ・グリッティはイスラム教に改宗してると書いてますね(中公文庫の下巻、p.327-)。
同じ宝塚で宙組は昨年、『壮麗帝』でスレイマン大帝を描きました。『壮麗帝』はスレイマンと寵妃ヒュッレムを描いた作品でしたが、このヒュッレムは『ヴェネチアの紋章』ではロクサーヌとして出てきます。ロクサーヌは「ルーシ(ロシア)の女」の意で、元はといえば、ロシア人奴隷でしたから。王妃となったロクサーヌは名宰相と言われたイブラヒムと対立し、自分の息子であるセリムにスルタンを継がせることにも成功します。付け加えるならセリムは政治や軍事に関心を持たず官僚たちにまかせ、飲酒に耽っていたんですが、1570年にはヴェネチア共和国が支配していたキプロスを遠征で奪います。これにピウス5世が衝撃を受けてスペインとヴェネチアはレパントの海戦でトルコ艦隊を撃破し、「普遍のヨーロッパ」の時代がやってくるのですが、このセリム、大酒飲みで最期は酔っ払って頭を打って死んだとか。色々あるな、とw
Alvise Grittiに関しては、以下のイタリア人名辞典が詳しかったです。
https://www.treccani.it/enciclopedia/alvise-gritti_(Dizionario-Biografico)/
なお、『緋色のヴェネチア』は『小説 イタリア・ルネサンス1〈ヴェネツィア〉』と改題されて新潮文庫から出ています(ぼくは古本の朝日文庫で読みました)。