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まっすぐ

まっすぐなことば、わたしにとってそれは鋭くて、弓矢みたいなものにおもえる。でも、このことばを言えるのは、自分のことばにある程度の自信がもてて、それ相応の経験を積み重ねているということなんだと思っている。わたしは、いつも自信がなくて、くねくねしてるから「かもしれない」とか「たぶんね」を乱用している。それしか言えない自分からしたら、まっすぐな言葉ってすごいのかもしれないと思う。でもそんなまっすぐなことばは、わたしをズキズキと容赦なく突き刺す。何本も、何本も。そういうことばをかけられるとわたしは決まって逃げたくなる、いやすでに逃げ出している。でも、そのことばはだいたい正論で、正しい(事が多い)。正しさの暴力に傷つけられたわたしの心はいつも荒々しくなる。

ただ、ストレートなことばはわたしの心に波風を立てるだけじゃない。救いを与えてくれるものでもある。例にあげれるなら、恋人のことば。わたしの恋人はまっすぐな人間だ。それは、わたしがくねくねしている人間であるからなのもあるかもしれないけれど、恋人のまっすぐさにはいつも驚いている。わたしは、そんな恋人を人として尊敬している。しかも、ただまっすぐなだけじゃなくて、優しさも伴ったことばをわたしにくれる。おかげで今のわたしは、毎日本気で笑えているし、やわらかい人間でいられている。学校に居場所がないわけでも、いじめられているわけでもない。でも、いつもひとり。孤高になりきれていない、ただの孤独なひと。まいにち、なんでこんなに不器用なの??っておもいながら、綱渡りの日々を生きている。