「大人の発達障がい」って、ナンダ⁉︎

 突然ですが、
 「大人の風邪」
 「大人向けランチ」
 「大人用座席」
などと聞いたら、違和感を覚えませんか? 単純に「ん?どういう事??」と混乱してしまうかもしれません。もしくは、「なる程、あえて“大人の”を付けるという事は、大人のソレと子どものソレってのは、きっと根本的に“何か”が違うんだろうな」という推測が働くかもしれません。私だったら、「大人の風邪…大人と子どもでは、ウィルスの種類が違うんだろうか」「大人向けランチ…ちょっとスパイシーなのかな。それとも、お酒に合う味付けだったりするんだろうか」「大人用座席…シートがちょっとゆったりめなのかな」と、まず間違いなく思う事でしょう。ところが、実際には大人も子どもも風邪は風邪です。「大人向けランチと子ども向けランチを1つずつ」と注文したのに全く同じものが2つ出てきたら混乱します。「大人用座席」が全く同じ状態の2席だったなら、クレームを入れるかもしれません。つまり、本来は全く同じものなのに、「大人の」を付けてしまう事で不要な誤解・誤認・期待(もしくは不安)・分断・軋轢を生んでしまう可能性があるという事です。

最近よく見る、「大人の発達障がい」というワード

 特にネット上では、近年「大人の発達障がい」という表現を頻繁に目にするようになりました。私はそれを見かける度に思うのです、「ナンダそれ⁉︎」と。20年以上に渡って発達障がいのある人の生活をサポートしてきた中で、「大人と子どもとの発達障がいは種類が違う」などという話は、見た事も聞いた事もなかったからです。
 発達障がいについては、現在もまだその発症メカニズムが明確に解明された訳ではないものなので、全ての事において断定的な事は言えません。しかしながら、「発達障がいは、先天性障がいである(大人になってから発症するものではない)」という理解が一般的かと思います。
 それでは何故、こんなにも「大人の発達障がい」という文言が浸透し(てしまっ)たのでしょうか。私なりに、考えてみたいと思います。

社会は、大人になってからのほうが複雑

 発達障がいは脳の気質的な障がい。先天性。つまり生まれた瞬間から、発達障がいの方は発達障がいと共に生きる事になる訳です。しかしながら、よく目にするエピソードとして、「社会に出るまでは普通に生活していたのに、社会に出てから生きづらさを感じるようになり、受診したら発達障がいと診断された」 といったようなものがあります。これは、
▶︎未成年のうちは、人間関係や生活範囲が限定的であるために障がい特性が顕在化しにくい
▶︎学齢期は「個性を尊重しよう」という方針の元で自身のペースを保てたが、会社組織に入ると会社の価値観やペースに合わせる事を求められるため、そこで初めて生きづらさが顕在化する
▶︎経験やボキャブラリーが発達途上の未成年期には、まだ自身の生きづらさに気付かなかったり言語化出来ない
 といったような事があるのではないかと考えます。

 しかも、社会に出ると人間関係は複雑化します。「嫌な相手とは関わらない」という事も出来ず、“苦手だけれども仲良く振る舞わなくてはいけない相手”や“利害関係がある相手”など、気持ちとは関係なくナカヨクする必要のある相手が多数。更に、とても気の合う同僚が出来たとしても、社内での接し方とプライベートでの接し方は使い分ける必要すらあります。大人(社会人)になってから生きづらさを自覚して、結果的に発達障がいの診断が下る…こういったケースが多いのでは?と、私は考えています。

「お客さま」の掘り起こし?

 突出して「大人の発達障がい」という言い回しを多く見かけるカテゴリがあると、私は感じています。それは、“メンタルヘルス界隈”。誤解を恐れずに言うと、「あなたの生きづらさは、あなたの努力不足のせいではなくて発達障がいによるものですよ」という論旨で展開されるメンタルヘルス系ネット記事が、恐ろしく多いと感じています。
 私は、そのロジック自体を否定するつもりは毛頭ありません。(発達障がいに限らず)障がいや疾病を有している事での社会的バリヤーは確実に存在していると思いますし、それに対して「努力が足りないせいだ」と自身を追い詰めるのではなく「脳の気質的な特徴なんだから上手く付き合っていこう」と思って生活するほうが余程充実した生活になると思っています。一方で、「発達障がいとの上手い付き合い方を共に見つけていきましょう」まで踏み込む事なく「発達障がいだから、無理をしなくて良いと思いますよ(知らんけど)」というところ止まりのネット記事が多い事への危惧があります。「発達障がいだから、健常者よりもたくさん努力や我慢をするべきである」とは一切思いませんが、「発達障がいだから、全てにおいて周囲が自分に合わせるべき」という事でもないと私は考えます。これは、私が立ち上げを目指す就労継続支援B型事業所の名称「イアンべ」に込めた想いと重なりますが(こちらの記事もご参照ください)、障がいがあるからといって過度に努力を強いられる事もなく、一方で障がいがあるからといって全く何の自己研鑽も必要ないという訳でもない…発達障がいとの“いい塩梅”の付き合い方を見つけるための試行錯誤は、したほうが良いと思うのです(※)。そして、そこまでの熱量で当事者の方に伴走をする気概の感じられないネット記事の多さに、辟易している訳です。社会に出て生きづらさを感じ始めた方々に対し、「共に生きよう」という発信ではなく「閲覧数を稼ごう」という魂胆が見え隠れする記事が多いような…。仮に、社会に出て「なんかツライかも」「思ってたようにやれないぞ」という疲れを感じている人に対して「大人の発達障がい」というキャッチーなフレーズで耳目を集め、新たな“顧客開拓”と“販路拡大”を狙っているのだとすれば、それは由々しき問題です。
※念のため断りを入れておきますが、発達障がいの方“だけ”がそういう試行錯誤をすべきという事ではありません。全ての人が、それぞれの試行錯誤を。

より良い生活を目指すための伴走者

 批判めいた方向に話がそれてしまいました。
 結論としては、私が大切だと考えるのは「発達障がいなのかどうか」ではなく「発達障がいと、どう上手く付き合うか」という点。「“大人の”発達障がい」という言い回しは、この点で問題の本質を大きくブレさせてしまう気がしています。
 私は医師ではないので、誰かに発達障がいの診断を下す事は出来ません。しかし、これまでの現場経験で得た“一次情報”を元に、既に診断を受けている方に対して、その方の生活がより良いものとなるためのご提案をする事が出来ます。現在は、就労B型事業所という“ハード”を作ってそこで職業生活をサポートする事を目標にしていますが、いずれはクライアントの個別のニーズを聞き取りながら、生活全体の質の向上のための伴走者を目指したいと考えています。例えば、
▶︎利用中の施設の職員さんに、思っている事をなかなか伝えられない
▶︎就労先でのミスや失敗を減らしたいけど、どうしていいか分からない
▶︎「こういう生活が出来たらいいな」というイメージはあるけど、そこに辿り着く手段が思い浮かばない
などのご相談に対して、具体的かつ現実的なご提案を出来るような役割を担いたいと思っています。
 また、発達障がいのある方の周囲にいる人たちにとっても、必要な存在になりたいとも考えています。
▶︎発達障がいのある同僚と、どう接したら良いか分からない
▶︎発達障がいのある人もない人も、みんなにとって働きやすい職場づくりのためのアイデアが欲しい
▶︎発達障がいには“何となく”のイメージと情報しか無いから、もうちょっときちんと知りたい
などなど。
 先々は、就労B事業所と“発達障がい関連よろず相談”の、2つを軸にしたいと考えています。よろず相談については、またいつか改めて記事にまとめて、「ちょっと試しに相談してみるか」と思っていただけるようにしたいと考えています。


イアンべに関するお問い合わせやご質問は、下記のメールからでもどうぞ
info@ianbe.main.jp

いいなと思ったら応援しよう!