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怡庵的 徒然なる日々 『おいで、もんしろ蝶』

おいで、もんしろ蝶    

                 工藤 直子/作
                 佐野 洋子/絵

                 1987年12月初版  
                 筑摩書房刊

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 あれは、いつかのことだった。

 何気に手取った数枚の印刷物を読み進んで、目をいや、心をすっ
 かり奪われてしまった。やられたという、そんな感じが身体中を
 つらぬいた。

 物語の最後に工藤直子作<ねむる梅・猫>とあった。「そうか。
 工藤さんの作品なのか」と素直に得心する自分があった。

 掲載の作品の全文を読みたいという衝動にかられた怡庵は本を探
 したくなる習性に従って「ねむる梅・猫」を探し始めた。

 そうしたところ、意外にも以前に世に送り出された作品であるこ
 とと子どもたちが教科書で目にしていることを知った。つまり、
 怡庵だけが知らなかったことになる。こんな作品を知らなかった
 なんて、えらい損した感じだなあと思った。

 遠くにそして近くにまだ葉をつけることを忘れたような山の連な
 りを見渡せるのどかな風景が広がり。そしてそこをぬうように細
 い道がつづく。その道には人々がくらしを営む家がぽつんぽつん
 とある。

 満月があたりを照らしている。随分ときりりとした冷たい空気の
 中、春に魁ける梅の花が一輪、いちりんほころんで茶色い枝を飾
 る。

 梅の木が寒さにふるえる。と、村はずれの一軒家の裏口からオレ
 ンジ色のしまもようの猫が出てきた。やがて、梅の木のところで
 立ち止まった猫は梅の木と話し始めた。話題はもっぱら猫の飼い
 主だったじいさんのことだった。

 この日はじいさんのために多くの人がひさしぶりに集まった。に
 ぎやかなことが好きだったじいさんは喜んでいただろうとお互い
 に語り合う。

 釣りが大好きなじいさんによくついて行ったと猫はなつかしげに
 言う。

 「はっこねーのやーまーは、てんかーのけん、ってね」

 「きーてきいっせい、しんばーしをー、ってね」

 調子っぱずれで、しかも大声でって。なんとのどかなことか。

 怡庵は、ここでちょっと妄想の世界に入っていく。工藤直子さん
 は『父がカンカン帽をかぶって東京駅にきた日』などでお父上の
 ことを語っておられる。田舎の人特有の大きな声のしかも熊本弁
 丸出しの語り口が大いに恥ずかしくて、ついお父上にそっけない 
 態度で接したと書いている。

 親がいつまでも生きていてくれると錯覚を子どもは持っている。
 だから、子どもはついつい親に心とは違う態度を取ってしまうも
 のだ。怡庵は読んでいて身につまされて仕方がなかった。その山
 家(ごめんなさい)のお父上があたりかまわず、「はっこねーの       
 やーまーは、てんかーのけん」と歌っていたのではないかと想像
 してしまうのだ。じいさんと同じように。きっと幼い日、直子さ
 んはそれを手をつないでにこにこしながら聞いていたのではない
 だろうか。

 それにしても、今の子どもたちには「箱根八里」にしても、「鉄
 道唱歌」にしても分からないだろうな。いやいや、親の世代だっ
 て、 無理だろうかな。下手をすりゃあ、聞いたこともないって平
 然と言うだろう。 だからといってはなんだが、怡庵には、こちら
 に工藤さんの切ないメッセージが送られているようなそんな気が
 してしまうのである。

 おや?ふたりの話はまだつづいているようだ。

 いつの間にか、猫の今後の身の振り方に話は移っているようだ。
 梅の木は何度も猫に「むすめ夫婦についていくのかい?」と訊ね
 ている。ここでは、もう人がいない寂しさと話し相手を失う梅の
 木の切なさが伝わってくる。この気持ち子どもたちに如何ほど伝
 わるだろうか。分かってくれる子どもたちが多くいたなら、もっ
 ともっと心優しい世の中になっていくだろうに。

 猫は梅の木にどう返事をしただろうか?そこをぜひ、読んでいた
 だきたい。

 表題の『おいで、もんしろ蝶』ではもんしろ蝶の誕生から、その
 死までを詩的に描いている。もんしろ蝶とそれを包み込むような
 優しさで語り見つめる池との会話がなんとも素敵だ。

 ことばを紡ぐ作者の感性はするどい。そこにリズムを感じること
 ができる。物語であっても、それは詩なのだろう。

 このもんしろ蝶の話を読んでいて、小川未明の『二つの運命』を
 思い出していた。ここでは、自然とともにあって自然に身を委ね
 ようとする小蝶と対照的に自分だけの生を求め、自然に抗い続け
 る蝉との話であった。たとえ短くあっても、自分に与えられた時
 間を意識していなくても精一杯生きようとするどちら作品ののも
 んしろ蝶の姿にも読者は共感するのだろう。

 『ふきのとう』『うめの花とてんとうむし』を始めとして一冊の
 本の中に工藤ワールドが限りなく広がっている。

 ふと、思うことがあってベートーヴェンの「田園」のCDを聞き
 ながら本を読み始めた。小沢征爾さん指揮でサイトウキネンオー
 ケストラの演奏である。ミーハーな気分で求めた1枚であったが、
 とても透明感のある清清しい演奏に聞こえていた。うれしいひと
 ときであった。

 ところで。

 工藤直子さんの作品と怡庵との最初の出会いがなんと三昔よりも
 前だということになることに今回気がついた。わが茶友のひとり
 からおよそ怡庵には似つかわしくない可愛い装丁の詩集をプレゼ
 ントされたのだった。

 今思えば、それが童話屋から出版されていた『のはらうた』だった。
 しかも工藤さんのサイン本だったのに。それこそ「猫に小判」いや
 いや、「豚に真珠」でこの本がどれほどのものかはとんと見当がつ
 かなかったのである。それが、時を経て周囲の環境の変化とともに
 工藤さんの作品と出会って感動に与っていくのだから、不思議な縁
 だというほかはない。

 『のはらうた』では、原っぱにいる日頃よく見知った虫たちに優し
 くスポットライトが当たっている。気負いがなく、ユーモラスで、
 自然なことばの世界の広がりがそこにはあった。その後、ここに登
 場する虫たちの絵はがきのあることを知って、出会うたびに求めた。
 モノトーンの木版の絵と工藤さんの詩がしっくりとしていた。随分
 と重宝させてもらった。

 その後、『てつがくのライオン』(理論社)や『ともだちは海のに
 おい』(理論社)などの散文詩の作品群があることを知ったが、こ
 っちは未だにご無沙汰だ。

 しかし、『あっ、トトロの森だ! 』(徳間書店)や『まるごと好きで
 す』(筑摩書房)と出会い、また工藤さんの幼いときの海水浴の思い
 出を描いた随筆などを読んでいく中で好きな随筆家の(詩人の)ひと
 りになっていったのだった。

 それが今回、思わぬ出会いをしたのだから、うれしくてたまらなかっ
 た。このうれしさの「おすそ分け」をみなさんにさせていただこうと
 思った。昔、虫を追いかけたり、あやとりをしたりした男の子や女の
 子に戻ってみてはいかがたろう。ご一読をお薦めする。もちろん読書
 対象の小学生のみなさんにお薦めするのは言うまでもない。

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