【日報】やり切るという覚悟
今日は、サークルの新しいメンバーとの初顔合わせの日だった。
昼は、面接を受けたり、課題を消化したり、奨学金の書類をようやく出したり、慌ただしかった。
サークルで、人数が今年は30名を超え、小学校の1クラス分くらいの人数になった。
去年の今の時期は、まだ10人くらいで、雑誌がどんな形になるのかも、
どうチームをまとめるのかも、そもそもサークルがなんなのかもわかっていなかった。
なんで今時期に紙媒体?笑と言われることもあったし、そんなの伝えてどうするの?と言われることも、なんかよくわかんないけどがんばって〜笑と、想いが伝わらず流されてしまうことばかりだった。
チーム運営に何回も失敗したり、どうやったらもっと良くなるのか、サークル終わりにえりちゃんとしょうたくんとマックで終電ぎりぎりまで会議をして、その後一人で代々木のカスタマカフェで朝の6時まで考えて、そのあと1限に所沢まで向かって、バイトに行って、みたいな日々のことも思い出したりしていた。
そんなことを思い出したり、これから先どうしていけばいいのか、どうやったらこの人数をまとめて、一つの目標にチームとして向かうことができるのか考えながら、説明をしていたら、あっという間に活動時間が終わっていた。
今年は、人数が増えた分、責任も大きくなった。
せっかく入ってくれたからには、後悔しないような場所を創りたい。
それに、入ってよかったと思ってもらいたいし、サークルの中で、好きなものを見つけたり、できるようになったといえるようなものを増やしてもらいたい。
そんな体験を創りたい。
未だに自分自身もできると自信をもっていえることは少ない。
だけど、これだけは一つ言えるのではないかと思うことは、「懸けた時間」はきっと何かになる。
方向性、環境、性質、向き不向き、などきっと色々あって一概には言えないことは分かっている。
けど、自分の中では「1万時間」が物事を考える上での一つの基準だ。
やる前からできないと言わない。
向いてないと言わない。
とりあえずやってみる。失敗する。全然うまくいかない。
だけど、そこで諦めない。
そうやって、色々繰り返しながら、とりあえず1万時間頑張ってみる。
できるかできないか、向いている向いていない、判断はそこでしようといつも決めている。
こんなに時間を懸けてもできなかったら?
時間を懸けたあとに何も残らなかったら?
そんな怖さもあるのかもしれない。
だけど、それは懸けてから、全部をやりきった後の話だ。
できるようになりたいと思うなら絶対にやるべきだし、なぜできるようになりたいのか立ち返ることも大切だ。
もしできなかったとしても、「向いていない」ということも、その道の過程で絶対に違う気づきがある。
大事なのは、やり切るという覚悟だと思う。
(続)