そうだ、本を読もう。
本当に本当に、
情報を整理するのが苦手でまとめるのが苦手で、
伝えるのが苦手で、
自分の意見を考えるのが苦手で(聞くと言うの両立ができない)、
それでも、伝えることに興味があるので、
(それ以前にこのままだとやばい)
読んだ本を振り返る。
ゆるゆると。たまに。
(いつか、本を図式化する能力がほしい。練習しよう。)
***
もともと活字なんてめちゃくちゃ苦手で、本なんて全く読まなくて、
今だって全く頭に入ってこない内容の本もあって、
それでも、なぜ最近私が本を読むようになったのかというと。
「知りたい。考えたい。」
ことが多いと気づいたから。
その情報が入ってくる方法が、
目から入る活字や図だろうと、
耳から入る声だろうと、
情報であることに変わりはない。
前までは、その知的好奇心を、近くの友達とかに
「え、これどう思う?」
って、質問したりすることで、満たしてた。
要するに私は、
1人で考えを進める力はめちゃくちゃ弱くて、すぐ行き詰まる。
外部からの自分と違う見方や観点をもらって初めて、
もう少し深く考え進めることができる。
でも、例えば周りの友達が、そこに全く違和感を感じないとすると、
私は1人でもやもやする。
「何も違和感ないの?」
「私違うと思うんだけど、どうなんだろう。。」
「これって科学的にはどういうこと?」
ってなる。
今まで、その解決策がほぼ、目の前の人から意見をもらうことしか、なかったから、
何に関心を持っても、関心を持たなくても、その人に自由なのに、
なんとなく、自分に答えに近付かせてくれない相手が、嫌いになる。
なんとなく、自分に答えに近づかせてくれる相手が、好きになる。
(ほんとにごめん)
もちろん、たくさん話せたら私はものすごく楽しいんだけど、
そうじゃない場合に、相手のせいにするのは、違う。狭い。
そもそも、自分の知りたい欲を満たすために相手が存在しているわけじゃないから、
人間関係の限界がある。。。。。。
と察した、今年2月。
よって、情報を得る手段として、本を、採用した。
めちゃめちゃ、面白い。
「ベースのインプットすること」
「見ていた世界がもう少し、理論に知識に裏付けられて見えるようになること」
って、面白い。
良質な情報に辿り着く力を上げたい、
と思った。本当に。
***
あくまで自分の「知的好奇心」だから、
それを強制されること、他者主体になった瞬間に、
“気になる、考えたい”という気持ちがなくなって、
全く考えたくなくなる、という面倒くさすぎる最大の弱点も、
自分が言葉にすることで、
「自分で言葉にできるようになりたい。取り込みたい」
という目的を持つことで、
少しずつ克服したいという意味も込めて。
***
いつやろうかな。
(結局今回はない笑)
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