これが私のノブレス・オブリージュという話
そこは正門、正面にして最前線。
駆るは駿馬、掲げるは旗、吹くは角笛、開門を待ち望む。
気がつけばもう30代。
ついでに新年を迎え、ベトナム5年目に突入してしまった。
そう。色々と節目の(つもりでいる)年なのだ。
自分自身の将来設計とか何とか……大事なことだとあれこれ考えを巡らせながら、その一方で自分以外のことも考えていた。
まだハノイに来たばかりだったり、これから来る予定の人達のことだって、(長い目で見れば)意外と大事だったりするのでは?なんて、ふと思ったからだ。
少し話が脱線してしまうのだけれど、世の中にはたくさんの、本当にたくさんの人がいる。当然、会う人全て親切丁寧ないい人ばかりではなく。それとは対極にいる人だったり、多かれ少なかれ何かを拗らせていたり、本当に様々だ。
例えば、"長いだけの人"というのがいる。
「いる」というより「いた」というのが正しいのか。それ以外にも、人間として「こうなってはいけない」とか「こういうのはよくない」みたいな、まるで反面教師のようなのも、まぁ、少なからず、存在する。
じゃあ、他ならぬ自分自身はどうだ?
油断していると、自分もその"長いだけの人"に仲間入りしてしまわないだろうか。
では逆にどうあるべきなのか?
例えば現地で積み重ねた月日を、その中で培われた様々な経験を、然るべき形で継承していくことはできないだろうか。あるいは、その仕組みづくりができないだろうか。
初心者会の立て直し、もとい出戻り幹事をやろうと思った最大の理由は、実はその辺りにあったりする。
そう、これは私の、私なりのノブレス・オブリージュ*1。
大義のための礎がどうとか、そんな高尚なことは言わないけれど。それでも明確な目的意識を持ち、使命感をもって取り組んでいることに変わりはない。
そこは最前線の最前面。
握るは手綱、纏うは甲冑、構えるは長槍、突き進め信念と共に。
*1 Noblesse oblige、元々はフランス語で「高貴さの保持には義務が伴う」といった意味の格言。ここでの"高貴さ"とは、一般的には人間社会における地位・権力・財力などのことを指す。
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