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こうあるべき、を捨てたいけど。
心も頭も自由でありたいし、
柔軟性をもっていたいし、
マイノリティに優しくありたい。
色んな人がいて当たり前で、
色んな生き方があるし、
え?と思ってしまう行動もその人にとってはそうしなくてはいけないフェーズでもあったりするから、
お互い様と思ってすべて理解して受け入れたい。
と、思っているつもり。
でも、それを1番思ってあげたい自分に対してめちゃくちゃ厳しかった。
それって結局、他人に対してもそうだったのかも、、と。
頭では冒頭のように感じていて、
こうして文字に起こす時も心からそう思っているけれど、
態度は・行動は、そうではなく厳しくしてしまっていたのかも。
頑張らなくていい、
自分のペースでゆっくりいけと思ってるのに、
ナチュラルに無自覚に頑張りすぎている。
そうしてそれを、他人にも無自覚に課している(?)。
それに、ハッと気づいた夏の午後。
*
母の退院後2日目の夜(一昨日)、特に何があったわけでもないけれど涙がポロポロ。
じんわり、しくしく、ではなくて、まさに、
ポロポロ
流れる。
悲しくも辛くもないし、安心したとかでもないというか、その時は感情は特にないのに、急に。
1時間以上、止まらなかった。
原因は未だ不明だけど、
昨日は頭が疲弊して体も疲弊してベッドに倒れ込み、
何も作る気にならずに大戸屋デリバリー(写真)。
今日、少しずつ回復してきた感じで。
つまり、母危篤のあれこれで疲れていたし、気を張っていたのかな。
無理しないようにしていたけど、無理してた。
頑張らないようにしてたけど、頑張ってた。
環境の変化(実家にあまり行かなかったのに、毎日のようにいくとか、兄弟との交流とか)もあったし。
頭でわかっていても、行動は違うことをしてる。
真っ直ぐいこうと思ってるのに、気づいたら斜め45度に足が向かっていて、
元々目指していた方に軌道修正しなければと頑張って、
もとい、ずれてることに気が付かずにその差にどこか違和感を感じていて、
心も身体も疲れてしまう、みたいな現象。
でも、今回は流石に無理をしたかったから、それはそれでいいのかも。
仕事とか人生の話で行けば、無理をしたくないから、ゆっくり自分を捉えて。
自分に対して、優しい選択を。
甘やかすのではなく、怠けぬ選択を。
(そもそも頑張りすぎてるんだからね、アナタ)
でも、なかなか難しいことで。
「こうあるべき」を捨てて軽やかに生きるということが、
いかに難しいことかと言う話です。
思うままに。
目指していれば、いつか近づいていくかな。