本当に何も思い付かない。今日。だからと言って批判は書きたくない。 最近人間の悪い部分が露呈してきていて、まじでf*ckと思うこともけっこうあって、いつでも吐き出そうと思えば、できるけど、せっかくのnoteではそういうことは書きたくない。 批判したいことは山ほどある。星野源と首相がコラボしたことで騒いでる人たち、岡村隆史がやらかしたこと、それに対する批判にも批判したいし、本当はいろいろある。 他にも批判したいという気持ちにぶつかる時が多々ある。私はtwitterが諸悪の根
正欲を見ようと思い、見ていたが途中で見れなくなった。 もうこの普通で弾かれた人たちを見ていられなくなった。しんどかった。まじまじと見せられる普通に乗れない人たちに対する攻撃に耐えられなくなった。君たちは普通じゃないと言われているようだ。 思った以上に苦しかったので、若林の本に逃げた。優しい感覚が流れている。普通じゃなく考えすぎてしまうソレ、分かるよと言っている。でもそれにもそれは甘えだという言葉が邪魔をする。 もう放っておいてほしいのに、邪魔しないでほしいのに、君たちを害
僕があわてて恋人を作るのはクリスマスを1人で過ごすという世間的幸せから逸脱している状況に耐えられないからだ。そう思っても言えないけど
正直今より戻そうと言える自信がないでもそんなこと言ったらわたしは2週前の元カノと寄りを戻すんだろうなと思われると思うから言えないじゃあどうしたらいいわたしは私として生きることを求めてて男根だけを求めていてそれで自分を埋めようとしているというかわたしはわたしで愛されたい埋めて欲しいと思っていてオレである以上それは埋められないくて埋める側に回るしかないでも埋めてくれる存在がいるかもわからないだしどんどんオレは私が嫌いなオレになっていく相席屋行ったり数ヶ月で別れを繰り返したり自分勝
はいもうわかりません どう生きたくてどうなりたくてどう死にたいのか全く分からないもうどうすればいいのか教えて欲しいわたしはどうなりたいの、わたしとおれが共存してもうめちゃくちゃ まずわたしはゴミですほんとうに自己中でくそです。わたしはまず私であるとか言ってるのに友達と相席に行きました彼女いたのにほんとにゴミです。そんなわたしはわたしですかいえおれですぼくの大嫌いな僕おれです。まずその理論さえも自分(わたし)は悪くないとする理論武装ではないですか、わたしと俺を分離することで俺に
かわいくないから生きてけない
わたしも振袖着たかったというとじゃあ着ればいいじゃないというが君たちみたいにそんな簡単に着れないの着たらどういう目で見るかわかるでしょそういうことじゃねえうるせえと思うがその気持ちを乱暴に扱う私の負け
幸せが増えるたびにつらいことが増えますよな。 最近は夏休みに入り、楽しいことがいっぱい。予定もたくさん入ってて毎日フル稼働。それが幸せだったけど、毎日無理をしすぎてついに体調を崩しました。 体調を崩す前兆は少しずつありました。レポートも相まって2週前ぐらいから怪しさはあった。それを無視して幸せに突っ走ろうとしたけど、体がギブアップしてしまいましたよ。ギブアップしたくなかった。まだまだずっと幸せに走り続けたかったのに、止めたせいでメンタルまでぐちゃぐちゃ。おかげで夜にnot
あんたたちが死んだら次は自分の番だと思う。 あんたたちが絶望して死んだら、次わたしも絶望した時死んでしまうんじゃないかって思う。 それぐらい迷う。死を求めるんじゃなくて生の終わりを求めてる。自分がどうなりたいかさえも自分でわからない。 生まれ変わったらアイドルになりたいと思う。くっそ汚いオタクの前で全力で愛を振り撒くアイドルになりたいと思う。でも生まれ変わらないから無理。そりゃなりたい自分はあってもそれに向かったらすぐ絶望してしまいそうで怖い。 ただこのまま生きてるだ
反出生主義理解できるけど、ちょっとその論理はうまく行かないんじゃないかと思う人間です。 すっごく理解できるんです。りゅうちぇるも亡くなったし、そもそも生きてこなければこんなに苦しむこともないし、つらくたってない。 食べたくないなめこを食べさせられる苦痛もなければ、シャワーで反省して消えてしまいたくなることもない、自分が何者で何者になりたいのか、どんなセクシャリティーなのか、わからないことに悩む必要もないわけ。 だけど、そうした痛みをなしに幸せを得られることはないわけで、
我々は非常に身勝手である。平和や優しさを求めつつも刺激がなければ飽きる。そして刺激を求め、今までの平和や優しさを捨てる。優しいだけじゃいけないというがそれは非常に自分勝手な話である。だがその自分勝手は人間である以上責められず、また繰り返される。
題名の通り突然向かわなければならない方向と反対側の電車に乗りたくなる時がある。 なぜだろうか。一種の反抗なのではないかと思う。 私は小心者で穏便に進めたいタイプ(たまに穏便じゃない時もある)なので反抗をせずに、無意識的に耐えていることが少なからずある。それが溜まり始めると小さな反抗したくなるのだろう。でもそう思いながら、行かなければならない方向に乗る毎日である。悲しい。 なぜ乗りたくなるのかもっと深く考えてみよう。予定調和にうんざりなんだろうか。こういう時って欅坂の曲が聞
ついに今学期、すべてのやるべきことがおわりました。 この2週間ぐらいめちゃくちゃな生活を送っていたのでいまほんとに死にそうです。 おいしいカツ丼。これは大学近くの蕎麦屋のやつです。めちゃくちゃおいしいです。 全世界の人が食べるべき。友達や彼女と行くことが多いんですけど、ほんとうは自分だけが知っておきたかったです。 チーズがかかった餃子。これめちゃくちゃおいしいかったです。彼女と食べたのでおいしさ倍です。 チーズがとろけてるとこ好きなんです。こんなふわふわしたものない
チートデーというなに食べてもいい日みたいなものを私も作った。 ニートデー 私は人といるとすぐ疲れてしまうので、数日連続で誰かと遊ぶなんてできやしない。少しずつでもいいので、自分で時間を決めて、なにをするのかも決められる時間が必要だ。 そのためにニートデーを作った。この日はなんの予定も入れず、ただごろごろするだけだ。ほんとになにもしない。なんら生産的なことは行わない。ただ自分のしたいことをする。 例えば、今日だったら、起きて携帯とipad、パソコンを駆使して、永遠にネッ
なぜ理系女子や女性管理職が少ないか考えていたんだけど、これって自分が保育士になりたくて諦めたのと一緒か、そもそもそっちに興味を持つことが想定されてないから、入口がものすごく狭い。 男が保育士、女の子が理系、管理職ってのが好ましくない社会として形成されてきたから、それ(社会)に我々が縛られている。 我々は社会に規定されていると唱えた社会学者デュルケームのとおりだ。 つくづくデュルケームはすごいと感じる。
私は小学生、中学生の頃、いじめまがいを受けてきた。 なぜまがいかと言うと私がすべていじられとして捉えてへらへら笑ってきたからだ。あと、自習中に「静かにしよ」って言ってしまうような私の人間性に少々難があったと感じるからだ。 そのいじめまがいを受けた私がなぜいじめ撲滅の記事を意識的に避けてしまうのか、それはそんなに世の中甘くないと思うからだ。 そんな記事のそんな正論で状況が良くなるなら、今すぐにでもいじめは無くなるだろうと思う。しかし、現実はいまだって、いじめられている子は