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毒親でも母が好き。【かか】を読んで
「うーちゃん、19歳。
母も自分も、もう抱えきれん。」
そんなキャッチコピーに惹かれて、手に取ったのがこの本との出会いだった。
母と子の物語
私のことだ。と直感的に思った。
この本との最初の出会いは、高校3年生。
ちょうど私の家も荒れに荒れ、母のいつ起こるか分からないヒステリックに日々怯え、心身ともに疲弊していたときだった。
当時の私の家庭環境の様子はこちらから。
この小説を手に取り、読みだしたのはここから3年後。家を出て一人暮らしを始め、余裕が出てきた大学3年生。
きっとこの小説を読んだ大半の人は、主人公うーちゃんの家庭の悲惨さに胸を痛めるだろう。だけど私は違った。
「同じ」だと思った。
「切ない」などの単調なワードで片付けられるものでは無く、まさにリアルそのもの。
文章ひとつひとつから染み出すうーちゃんの心情を拾う度に、あの頃の自分に立ち返るような気分で、うーちゃんと私は常に一体化していた。
かかの攻撃は家族全員に及んだけんど、うーちゃんはそれが他人に対しての傷害ではなくてかかの自傷行為の一環であることを知っていました。
「殴られてるアンタだけが痛いと思ったら大間違いだからね」
母は数分前に私を殴ったパンパンに赤く腫れた右手を私に見せつけこう言った。
そうか、あの言葉はこういうことだったんだと、この一文を読んで納得した。
例えば机をバンと叩いた時、手のひらにジンジンと熱を受けるあの感覚に近しいのかもしれない。
母は私に暴力を振るうことで、もっと自分を傷つけていたのかもしれないなと今になって考える。
そいでもほんとはかかを誰よりも愛しているのはうーちゃんだということをおまいにはしってもらいたいんです。かかをいちばんにくんでいるのもうーちゃんですが母親というものについてまわるあかぼうより、夕子ちゃんを亡くした不幸に浸る明子なんかよりもずっとかかを愛していました。
家にいた当時も、家を出た現在も私には母に対して一貫した思いがある。
それは、「母が好きである」ということ。
殴られ、首を絞められ、ハサミを向けられ、罵倒を浴びせてくる母を、私は恨んでいた。
死にたいと叫ぶ母に対して「じゃあ死ねばいいじゃないか」と毎日思っていた。
でも嫌いになりきれなかった。
私の中の母のイメージは、笑っている姿で溢れていた。大変な幼少期だったが、辛い毎日だけではなくて、むしろ楽しい思い出が多くて、その思い出をつくってくれたのは間違いなく母であった。
歪んでしまいそうな家庭をどうにか取り持ってくれていたのは母であり、歪んだ家庭を元に戻そうとしてくれたのもまた母であった。
そんな母が愛おしくて、憎めないのである。
何度も衝突したがその度に私に向き合い、18年間大切に育ててくれたのは間違いなく母なのである。
うーちゃんは、かかはかみさまだといった。きっと私もそんな、母への信仰心があったのかもしれないと思う。
それとは別に、父にも、世の中にも裏切られ、見捨てられ、蔑まれた母が、最後娘に切り捨てられてしまったら、元々不安定だった心は崩壊してしまう。身寄りが無いまま、家族に恨まれ、死んでいく母の姿を想像するのは、あまりにも滑稽で惨めだ。そんな母から離れられない、いわば執着のような歪んだ愛もあったのだと思う。
母のことを好きだと思う気持ちと、その気持ちに押し潰されてしまいそうな自分がいて。相反する思いを抱える自分と、発狂する母と向き合う日々がつらかったあの頃を思い出して、うーちゃんと私を重ねた。
記憶が呪いとなってまとわりつき、いつしか全て母のせいにして、暗い人生を送るのではないかと当時の私は不安でいっぱいだったし、今もたまにそう思う。
戸籍を抜けても、縁を切ったと口にしても、母と私はへその緒が繋がっていた関係で、そんな母の股から生まれてきたのだ。
ヒステリックを起こす母は、
「○○は私のこと愛しているとも好きとも一度も言ってくれない。」
と言った。
「愛している」と口にするのはなんだかちょっと気恥ずかしくて、喉元でつっかえて、上手く言葉にできない。私の純粋な愛と不格好な愛は、どう母に伝えたら良かったんだろう。
他の家庭は、家族に、母に、
愛しているよ。と常々伝えているものなのだろうか。
ぼーっと考え続けていた。
かかを愛していると宣言できて、伝えることが出来たうーちゃんが少し羨ましい。
うーちゃんはかかに対しての深い信仰心を解いて、自立していく。
私もきっと自立していくし、自立していっている。
だが心はどうだろう。
あの日から年月が経ち、取り繕うのが得意になった。けどきっと本当の私はまだ高校3年生の頃まま。
母に対する愛なのか執着なのか、結論が出ない不確かな感情を今日も蓋して、消えない傷跡を隠して、生きている。
母と子の物語
この物語に終わりは存在するのだろうか。
私は高校3年生から自立できるんだろうか。