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オタク経済創世記 中山 淳雄
フランスの公園で見た風景にびっくりした。
そこにはコスプレをした若者たちがたくさんいた。
遠く離れたフランスで、このような形で日本に触れれたことにちょっとうれしかった。
一方で、ちょっと陰湿なイメージのあるオタク文化が、JAPANとして見られるのにちょっとした抵抗があったのも事実である。
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本書は、オタク文化が日本で生成されて、マスカルチャーになるかて、それがグローバルにおいても消費されるようになる過程を分析している。
コルクの佐渡島さんがおすすめしたいて、コンテンツビジネスというものに、興味があ利、この本を手にした。
農家として、最高の農作物を作ることは絶対条件として、今は珍しくなった田舎で農業をするということ自体がコンテンツになるんではないかなと考えているからだ。
本書の内容については、読んだ方が一番いいし、きっと要約してあるサイトがあるので、そちらを参照として、ここでは僕がこの本を読んで考えたことや学んだことをまとめたい。
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この本で学んだことは大きく分けて三つある。
①ブルーオーシャンを作ること
②作品を二次利用、三次利用して、消費者と定期的にコミュニケーションすること
③あやかること、特に日本は日本の戦い方があるから、それを知ること
順番に説明する。
①ブルーオーシャンを作ること
これは言葉では簡単に言えるし、概念は誰でもわかる。
じゃあ、どうすればいいのか?
競合が追いつけない速度で成長し(この間は赤字であってもかまわない)、競合がバタバタとキャッスあうとで潰れていく低酸素濃度の環境を作り出し、唯一の巨人として最大のカバレッジで消費者を独占し、最終的に競争のない状態になってから値上げを行い、収益性を単肥する。(中略)
実は、こうした戦略は消して新しいものではなく、戦後日本の出版社がマンガの展開にとってきた手法である。
オタク文化は、突如現れたように見える。
だが、戦後から、マンガは、破格とも言える安さで生産体制を整えてきた。
サンデーとマガジンは、ユーザーを集め、100万部に到達した1960年後半においてすらもまだ赤字だったことが本書には書かれている。
米国に比べて日本は、雑誌で言うと10分の1のものを3倍のスピードで提供し、単行本コミックでいつでも半額で提供すると言う圧倒的な価格優位性・生産体制を築いていることになる。これが1990年代に300億円程度の米国コミック市場と、5000億円の日本マンガ市場の差を生み出す産業構造の違いであった。
一言で言うと、日本のマンガ市場はクリエイターが、低賃金でかつ、ものすごくハードな仕事という環境で成長してきたため、他の国は追随できないということだ。
利益を度外してでも、最初は、やはり、こういう他の人が真似できないぐらい圧倒的な努力とその環境整備が大切なんだなと、マンガ発展の歴史からわかる。
②作品を二次利用、三次利用して、消費者と定期的にコミュニケーションすること
本書のメインでもある。2.5次元コミュニティについて。
これは、バーチャルとリアルのコンテンツを交互に回して、消費者と接点をずっと作っていくことについて。
漫画で見たものをアニメにして、ゲームにして、さらに、イベントで集まって、また、アニメに。
みたいな感じで、作品をいろんな形で、消費者と接点を定期的に保ち続ける。
日本のソーシャルゲームは2010年代に入って、勢いを失った。それは、作品の質ではないという。
モバイルゲームはキャラクターの画像を運ぶメディアとしてはよかったが、キャラクターを浸透させるようなストーリーテリングができるものでなかったということである。そしてモバイルゲームだけで完結して、他の商流を巻き込んだ作品としての展開ができなかったことだ。
つまり、作品単体で勝負するのではなく、あらゆるものが関わり合うことで、相乗効果が効いてくる。
マンガ・アニメ・ゲームの三つの業界はそれぞれが独立して成長してきたようで、実はかなり近い距離で互いのヒットを重ね合わせながら膨張してきた共犯関係がある。
大事なのが、これらの「著作権(ライセンス)」がマネタイズの決着点だという主張だ。
ライセンス展開するためには、情報をある程度キャラの情報を固める必要がる。
ライセンス展開のハブとなるために、マンガは一旦、アニメ化される。
アニメはキャラクターの画像、声、動画、ストーリ、音楽など全てが込められているが、漫画だと固まってない情報が少ない。
日本の漫画業界は、マンガだけでは製作費を回収できないため、アニメ、ゲーム、映画、商品のイメージ、イベントなどキャラクターイメージを二次利用、三次利用し、ライセンスで回収するというビジネスモデルになっている。
そして、ネットによって、この二次利用、三次利用がもっとやりやすくなった。
デジタル時代において最も強調すべきことは、「ネットで便利になること」ではなくて、「ネットによって今まで価値として見られていたものをより便利に高頻度で味わえるようにすること」である。
ロケーションビジネスの中身も二極化している。ゲームセンターやカラオケといった、以前は人々をひきつけていたが現在ではそうではない場所は、パッケージ同様に市場規模は減少し続けている。
逆に音楽コンサートやミュージカル、歌舞伎など「共に体験をすること」にコアを持ってきているコンテンツは成長してきている。
このように、作ったものを視聴してもらうという一方通行のモデルから、ユーザコミュニティの形成をうまく行い、コンテンツを生きたものとしてアップデートし続ける双方向のモデルになった。
日本のマンガ業界は、「製造業」から「サービス業」へと進化した。
作品のストーリーも、ショットとして一度に展開してしまうのではなく、ストリームとしてユーザーの体験空間に張り付くように提供し続ける。
この考え方面白いなと思った。
また、ソーシャルゲームの消費額が伸びているというデータが紹介されていた。
理由しては、ユーザーはソーシャルゲームを通して他者とコミュニケーションを消費している。
つまり、コミュニケーションの仕方が複雑化してるだけで、本質は他者との繋がりなのかな。
物は物としてだけでは価値を持たない時代に入った。物は人をつなげる媒体として価値を持つ物であり、ソーシャルでもシェアリングでも、人と人のコミュニティ価値に貢献してはじめてエンターテイメント事業として消費者に認められる時代になるのである。
物によって、人と人のコミュニケーションをどう設計できるかが大事なんだな。
自分が農業をやるときにも、食品製造業という立場ではなく、サービス業として、農作物を起点に、人と人をつなげてどうコミュニケーションする機会を作るかを考えたい。
③あやかること、特に日本は日本の戦い方があるから、それを知ること
日本では、オタクはちょっとマイナスイメージがある。これは、1989年に宮崎勤少女殺害事件でオタクが社会的に危険な物だと信号づけられたかららしい。
ただ、海外にはこう言った歴史がない。
コスプレはクールな異文化として認められている。
なぜ、日本のオタク文化商品がグローバルで急激に受け入れられているのか。そこには1960年代から日本のアニメ浸透の挑戦時代があり、80年だいからの日本ゲームの世界的寡占状態があり、90年代に始まるアニメイベントの北米コミュニティの萌芽があり、2000年代のマンガ、アニメの海賊版浸透があり、ようやく芽吹いたように、2010年代の動画配信を機軸に「市場化が始まった」結果である。
メディアの普及を丁寧にたどっていけば、突然流行したように見える現象であてもきちんと理由が説明できる。
流行は偶然ではない。
きちんとしたタイミングと環境が必要だ。
日本のアニメはそれがうまくいった。
他にも、キャラクターについても紹介されている。
世界で有名なキャラクターは、ほぼ日本とアメリカからできたものばかりだ。
キャラクターが日米に偏っている理由は、その二国が「当時キングメディアだったテレビ視聴習慣をうまく取り入れ、コンテンツ作りのプラットフォームを集中させられたから
空想上のストーリーやキャラクターに多くの人々が価値を見出すにはそれ相応の大きなメディアインフラが必要不可欠である。
しっかりと下支えがあってこそ、流行は作り出せる。
また、これからは情報が画一化されたからこそ、その土地その土地特有のローカルなものがすごく価値を持つ。
日本という国から世界で戦う以上、世界のプラットホームを意識しつつ、日本という国に乗っかった戦略が必要だろう。
僕はこの本を読んで、日本のサブカルチャーやこれまでの歴史をもっと勉強したいと思った。
文化浸透には時間を要し、マンガ、アニメ、ゲームがレイヤー構造となって「文化コンソーシアム」としてキャラクターを根づかせてきた歴史を無視してはゼロから作り出す作品が突然大ヒットになると言った異形期待は成り立たない。
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うまく、まとめられたかわからない。
とにかく内容が濃くて、どこも大事に見えて、うまくまとめきれなかった。
本書を読んで、オタク経済圏の成功の歴史から、消費者とコミュニケーションをうまく取りながら、ニッチなものをいかにグローバルに展開していくかの示唆を得ることができたと思う。
最後に、心に残った言葉を紹介したい。
文化というのは「異端」から発するものである。ゴスペル、ジャズ、ブルース、レゲエなど音楽において現在本流ともいえる位置付けを獲得した物はアメリカ新大陸で「自由の国」でありながら差別を受けてきた人々の文化から発している。
僕も、文化作れるひとになりたいな。
差別受けながら。
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