イデオロギーと歴史のはざまで――簒奪される文化・慣習
日本国内で学術的に政治思想が議論されるとき、その政治思想のイデオロギーがどういったものなのかを議論するだけにとどまってしまうことが多くあります。
保守とは何か、あるいはリベラルとは何か、共産主義とは何かを議論する場合、どういった考えであることが保守なのか、リベラルなのか、共産主義なのかで話が終わってしまっています。
イデオロギーと歴史
前回、フランスの共産主義者のルイ・アルチュセールについて触れましたが、彼の議論を踏まえると、イデオロギーは歴史を保持することはないといいます。歴史はそのイデオロギーの外部にあるというのが彼の主張でした。
これは政治的イデオロギーについて成立するかもしれません。政治的イデオロギーについて論じられるとき歴史的文脈は影を潜めます。歴史への関心が薄い政治論であればあるほどに、その政治的イデオロギーの議論に終始し、歴史的な文脈での議論が喪失されていきます。
そして最近の政治思想の議論は、意図的に観念論的な議論に終始することによって、人々から歴史的文脈を浮遊させる狙いがあります。ここでいう歴史というのは、人類史や更にそれを超えた生命史を含む壮大なものを想定してほしいと思います。現在の人類が時間的連続性の中で形成されてきた物語が、政治的イデオロギーの前では意味を失います。一方で、イデオロギーの方こそが人類が歩んできた時間的連続性を簒奪し、永遠の夢物語として人類の現実性を破壊していく可能性があると考えるべきでしょう。
イデオロギー装置と階級闘争
現在の政治思想が歴史的文脈を喪失しようとしています。それは一つにマルクス主義勢力の政治活動が功を奏しているためと考えることができます。ルイ・アルチュセールは、国家のイデオロギー装置を階級闘争の場であると想定しました。教育機関、メディア、更に宗教施設、社会クラブ、そして家族に、共産主義者にとって都合の良いイデオロギーを組み込むことによってプロレタリア独裁が可能となるとアルチュセールは考えました。
現在テレビメディアや新聞、ラジオといったメディアや大学を頂点とした教育機関を中心に様々なイデオロギーが広められています。もちろんそうすることによって、私たち自身の歴史的文脈は議論されなくなります。そのイデオロギーの歴史的位置づけなども重要ではなくなるわけです。
文化的マルクス主義がこの階級闘争の場で、最も強い影響力を持つようになったものを挙げるとすれば、私はそれはポリティカル・コレクトネスであると考えます。ポリティカル・コレクトネスを持ち出すことによって、マルクス主義者はイデオロギーの中に隠れることができます。言い換えると、マルクス主義者が主導してきたプロレタリア革命の血塗られた歴史を人々から失念させることができるのです。
また、ポリティカル・コレクトネスは、歴史を排除することによってイデオロギーを受け容れた際、どのようなことが起こり得るのかという議論も排除します。彼らのイデオロギーは過去の歴史の蓄積を人々から奪い去ると同時に、未来への展望や予測、可能性の議論といったものも簒奪します。
政治におけるイデオロギーの議論
私が見る限り、日本でのマルクス主義の議論は歴史を持っていないものが多くあります。カール・マルクスがどういった人間だったのか、インターナショナル運動とはどういったものだったのか、ロシア革命がどういった革命だったのか、そしてロシア革命後に世界のどの地域で革命が伝播していったのか、現在、そういった革命運動を行ってきた人間たちはどういった方向に進んでいったのか、現代のマルクス主義はどういった発展を見せているのか、ほとんど議論されません。
繰り返しになりますが、ルイ・アルチュセールのイデオロギー論を踏まえると当たり前のことと言えるでしょう。マルクス主義が平等を実現するとか、資本主義を打倒するとか、そういった夢物語はイデオロギーの中だけの世界です。イデオロギーの外側の歴史は血塗られた、嘘だらけの、民族主義的で宗教的な、独りよがりのものとして刻まれていきますが、イデオロギーに心捉われている限り、彼らの謀略についての議論がなされることはありません。
ポリティカル・コレクトネスという夢物語、ユートピアに惑わされ続けることで、私たちは過去の歴史も未来の歴史も失うのです。それがマルクス主義者の告白なのです。
最近、日本政府も日本の大企業も、持続可能な開発目標Sustainable Development Goals(SDGs)というイデオロギーを唱えはじめました。このようなイデオロギーによって日本が、そして日本人個人が多大な不利益を被らないためにも、このようなイデオロギーの背後にある歴史を読み解かなければならないということだと思います。
繰り返しになりますが、国家のイデオロギー装置とは、階級闘争の主戦場と考えられているということを忘れるべきではないでしょう。これは反共主義者が言っているのではなく、共産主義者自らが言っていることなのです。
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