フランス革命とフリーメイソン
今回は四王天延孝著『ユダヤ思想及運動』(1943年、内外書房)より、第五篇、第二章の「フランス革命」を転載します。一部現代調にしています。感想などは【コメント】以下にまとめます。
ヴォルテールのフリーメイソン入会
西暦1789年7月14日にパリのバスティーユ牢獄破りに端を発したフランス革命の表面にはユダヤ人は立たなかった。主としてその傀儡なるフリーメイソンを働かせた。
フリーメイソンの教科書は誇りがに次の如く記述している。
(革命前)1778年に、ヴォルテールを引き入れたことが勝利であった。これに参加した有力な同志の名前を列記することが適当と思う。すなわち、
エルヴェシウス Claude Helvétius
ミラボー Count of Mirabeau
ガラー Dominique Garat
ブリッソー Jacques Pierre Brissot
(カミーユ)
デムーラン Camille Desmoulins
コンドルセ Marquis de Condorcet
シャンフォール Nicolas Chamfort
ダントン Georges Danton
ドムジェルル Christophe Antoine Gerle
(ラボー)
サンテティエンヌ Jean-Paul Rabaut Saint-Étienne
ペション Jérôme Pétion de Villeneuve
パングレー
これらは何れも後に革命のとき立役者になったが、右のヴォルテール引き入れ会議に参加したもの以外に最も有名なのは
ダランベール Jean Le Rond d'Alembert
ディドロ Denis Diderot
ラアルプ Jean-François de La Harpe
ロベスピエール Maximilien Robespierre
ラファイエット Marquis de Lafayette
らがあるが、特にヴォルテールは次の意見を述べている。
「陰密に行動し・・・そして叩け、そして手を隠して仕舞わなければならない。」
よくフランス革命は貴族と僧侶の横暴、農民の苦難などに端を発したことはその通りであろうが、これを指導して勃発させたのはフリーメイソンの力である。前記の教科書は、ルイ・ブランの著作フランス革命史(神秘革命)37ページから引用して、次の如く論じている。
「ルイ・ブランはいかに旧体制の没落がフリーメイソン結社によって準備されたかを書き出しているが直接の陰謀はやらなかったと書いている。当時のメイソンらは特権者に対して無用な宣言を発したりはしないで、ただ集会所の中で自由・平等・友愛の思想を実行していた。」
と修飾的に記している。(今日においてもメーソンは直接手を下さない、これがかえって注意を要する点である。)
ユダヤ人解放とフランス革命
結果においてはフランス革命はユダヤ人の解放になったのである。まず端的にユダヤ側の告白から述べてみると、第一世界大戦の最中である1915年の全世界ユダヤ同盟の機関紙ユニヴェルイスラエリットというのに、フランスユダヤ中央協会という名前で、世界各国のユダヤ同士に飛ばした次の檄がある。
「中立国民たる諸君が、第18世紀以来革命とユダヤ解放の淵源であったフランスの防御に直接参加するのは、国際公法の慣例上不可能であることはわれわれもよく知っている。しかし、諸君がフランスに対する感謝の念を諸君に課するに、今回の大戦の起こりと、その性質とにつき、これが真相を同族間に吹聴する義務をもってする。」
また次の如く述べている。これが要点である。
「フランス大革命は西ヨーロッパのユダヤ人を解放した、連合国側の勝利はヨーロッパの残りとユダヤ人を解放するのである。」
これをもってみただけでもフランス革命とユダヤ解放の関係が伺われる。
尚、1901年4月のアカシヤという前記大陸フリーメイソン大東社の機関紙にも
「1789年のフランス大革命はフリーメイソン結社の教義を具体化しようとする試みであった。」
と書いている。
また、フランス革命の経過中の1792年9月22日議会は共和政治の確立を宣言し、後に恐怖政治の主脳となったビヨー・ヴァレンヌの発言で、年号を改め共和第一年とすることを決議した。これは先のユダヤ民族の暦の部において述べたところで、これが彼らの正月元日にあたり、正月のことをヴァンデミエールすなわち葡萄月としてのである。これをもってキリスト紀元を廃止して、新体制に移ろうとした。もっとも之を新暦と確定したのは翌1793年10月5日であるが、その際遡って前年9月22日の秋分からを年の始めとした。これを見てもユダヤの手がフランス革命を影から動かしたのが解る。
プロイセンのメイソン、ブラウンシュヴァイク将軍
なお一つフランス革命とフリーメイソンの関係において看過しえないことは、プロシア軍などの同盟軍が、1792年何故ヴェルダンを陥れ、シャンバーニュの一角ヴァルミー高地の所まで進撃し、今一つ押しでパリまで攻め込みえるのに、虚しく軍を返したかである。
筆者は第一次世界大戦当時あの辺を視察し、ヴァルミー高地に案内されてフランス軍将校から戦勝記念日の説明まで受けたが、該高地はさほどの価値あるものでもないし、合点が行かなかった――、普通のフランス革命史を読むと、天候が悪かったとか、ジャンバーニュ地方のブドウの不熟が食べ過ぎて悪疫が流行したことなどで取り繕った説明になっていて物足りなかった。
ところがフリーメイソン第15階級まで上ったアルバン・セリー氏の隠密戦争を読んでみてわかった。プロシア軍の大将ブラウンシュヴァイク将軍が元々フリーメイソン結社員で、彼らの仲間がフランスで起こした革命をつぶすような出兵をすることには反対であった、命令でやむなく進撃したが、相当の戦績を申訳のためにあげて、ここからは進んでは大変の所で口実を設けて退陣をしたのである。
また、これに対してフランス軍の方には有名なダントンというフリーメイソンの幹部がいて、フランスの追撃をおさえプロシア軍を自由退却に任せて、ブラウンシュヴァイク軍が安全に国境を越えて帰還することを得せしめたのである。
フリーメイソンの都市とも呼ばれたジュネーヴにいって湖畔の一角「平和ホテル」の傍にたって六角堂の中に、ユダヤの六角星が彫り嵌めた天井の下に安置された棺の中で、伝統的な武装衛士人形と、四つの獅子の石像とに守られて安らかに永遠の眠りについているのは誰あろう右の八百長戦の軍司令官ブラウンシュヴァイク公である。
かかる光栄を与えられているわけは公が全財産を由緒あるこのジュネーヴに寄付したためとの文献を見たが、フリーメイソン世界からは、従来輝かして武名を曇らせるのも厭わず、よくダントンと話し合って、フランス革命を潰さずに退却を全うした所の殊勲による所と思う。
(ちなみに記す先年ベルギー出兵の際、北海、黒海西シベリアよりモスコー向け出兵し、もう一押しでモスクワの危うくなるペルムまで先頭が達していながら、急遽出兵を取りやめることにしてオムスクから引き返したイギリスのノックス将軍はブラウンシュヴァイクの再現か)
フリーメイソンがフランス革命に関わっていた証拠
なお1936年パリ発行のインターナショナル・マッソニックの三月特別号第7ページに報ずるところによれば、
「フリーメイソンがフランス革命に参加したこと確かなことだ。大東社は1791年6月30日にその管下の組合に通牒を発し1789年から同91年までにおこった重大事変間において引き受けた任務を明らかにした。この通牒の中に注目すべきは、フリーメイソンの行動は今回のごとき著しい実績を残したことはかつてなかった。われわれのフリーメイソン組合は人類が自然から奪い取った「自由」を返してやることに協力した今日ほど、将来に向いての光輝と堅実さとを約束される時代はなかろう。」
憲法制定会議というのはフリーメイソンの会議であった、それはフリーメイソンの一員ラモー(Jean-François Rameau de Montbenoîtか?1738年―1794年)が1790年に高らかに宣言している。その文句は
「国民の代表者諸君はわれわれの週間を採用してくれた。ああ、自分は幹部諸君の執務を見て、発言の要求の仕方、静粛の命じ方、投票のやり方、演壇、地方議員の懸章をみるとき、ことに人権が確立されたことを見るとき、われわれの代表者はフリーメイソンであることを認めざるをえなかった。」
1904年大東社の総会においてフリーメイソンの一員ボンネは「フランス革命当時の憲法制定会議の仕事はフリーメイソン、ラファイエットの仕事であって、それが会議の採用するところとなったのである。しかしてその会議の議員中300人がフリーメイソンであったとまで述べている。
このくらいフランス革命とフリーメイソンの交渉を述べ、そしてフリーメイソンとユダヤとの関係を考えてみれば、フランス革命がユダヤ人の深謀に基づき準備され、実行されたかを想像に難しくないと思う。
最後にフランス革命が尽力したことを自白した次のフリーメイソンの文献を掲げて本章を終わる。
「かつて1789年のフランス大革命に最も大なる役割を演じたフリーメイソンはいつ何時にても来るべき革命に幹部を供給する準備がなくてはならない。」
【コメント】
全世界ユダヤ同盟のアイコンですが、これまで何度も類似的なアイコンを紹介してきました。
これまで紹介してきたもののみを取り上げます。
秘密結社とフランス革命の関係は、反革命派からばかりではなく、19世紀のフリーメイソン側からの資料も豊富に存在するようです。ただ日本語で読める作品があるかどうかは解りません。ほとんどがフランス語で探るしかありません。第一インターナショナルで少し触れた、ルイ・ブランというフランスのメイソンもその著作Histoire de la Revolution Francaise (1847-1862) の中でフランス革命とフリーメイソン、イルミナティの関係について触れています。いくつか出版されていますが、そのうちの一つは全15巻にもおよぶ大作になっています。
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