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一生の

「一生の友情ね。大切にしなさい」

 先日高校の同窓会に友人たちと参加した。正直わたしたちは食事を目当てに参加しただけで、恩師と再開を果たすとか、懐かしいクラスメイトに会うとか、そういう同窓会の本来の目的のように思われることは二の次だった。とにかくおいしいものを食べまくって、参加費の元をとる。そんな卑しい感情しかなかった。

 部活の顧問に会った。こんなことを言っては失礼だけれど、顔を合わせたときに「あ、そういえばこんな先生もいたな!」と思ってしまった。わたしは部長だったから、その先生と会う機会が一番多かったのに。わたしは高校生の頃と髪型も服装も違うし、たぶん雰囲気も違ったと思う。なのにその先生はわたしの顔だけを見て「お久しぶりです」と言ってくれた。どうしてわたしだと気づいたのだろう。聞けばよかった。


 先生はわたしたちを見て「絶対このメンバーで来ると思った」と言った。へえ、部活の顧問の先生に認識されるくらい、高校生のわたしたちは一緒にいたんだ。いつもバカみたいに笑って、くだらないことをしていたわたしたちは、先生の目にどう映っていたのだろう。それも聞きそびれた。

「一生の友情ね。大切にしなさい」

 先生はそう言った。わたしは即座に、照れながらも「へいへい、一生の友よ〜」と、そんなことを言いながら友人の肩を抱いた。友人もわたしの肩を抱いてくれるかなと思った。

「いやあ、一生なんてないから」
「そうそう、一生の友情とかないから」

 へ? 
 友人たちが放ったそれらの言葉を、わたしはポカーンと口を開けながら聞いた。一人だけ浮かれているみたいで、急に恥ずかしくなった。

 ずっと隣にいると、ずっと目線の先にいると、その人の存在がまるで一生もののように感じるときがある。一生変わらないものはない。絶対はない。分かり切ったことなのに、わたしはそういうことを時々忘れる。

 もしかしたら友人たちは、一生の友だなんて陳腐な言葉を吐くのが恥ずかしかっただけなのかもしれない。それとも、わたしが一人浮かれていたから、あえて冷めるようなことを言ったのかもしれない。

 けれどわたしは「一生なんてない」と言ってくれて嬉しかった。
 一生なんてない、絶対なんてない、いつかは友情が失われるかもしれない。そんな暗い未来が待っているかもしれなくても「いま」わたしといてくれること。ああ、わたしの友人たちは、どうなるかわからない未来なんて見ていないんだ。そんなのどうだっていいんだ。

 一生の友情じゃなくても、わたしはいま、あなたたちと笑い合えていて幸せです。

 いつか、「ガチで一生の友情だったね」って笑えたらいいな。

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