「人それぞれ」がさみしい〜「やさしく・冷たい」人間関係を考える〜①
こんにちは。やまりです☺️
本日は、「多様性って難しいな」と感じている方に向けての記事です。
金子みすゞさんの「みんなちがって、みんないい」や、近年よく耳にする「多様性(ダイバーシティ)」と似たような意味を持ち、私たちが普段耳にする機会の多い言葉に「人それぞれ」があります。
「人それぞれ」という言葉には、一見、相手に受け容れられているようでいて、距離を置かれているような複雑な語感があります。
私自身が抱えていた何とも表現しにくいこのモヤモヤ感を、うまく言語化・文章化されている本と出逢えたので、今回はこちらの『「人それぞれ」がさみしい 「やさしく・冷たい」人間関係を考える』をもとに、私が共感した部分や、ハッとした部分を中心に、いくつかの記事に分けて、内容を簡単にご紹介していきたいと思います。
「人それぞれ」が成立する社会の条件
閉鎖的な集団に同化・埋没することで生活を維持してきた「ムラ社会」の時代とは異なり、私たちの生きる時代は、「一人」になる条件が揃っています。
その条件とは、①物の豊かさの獲得と②個人を重視する思想です。
この2つにより、私たちの生活は、身近な人間関係の中にではなく、お金を使うことで得られる商品・サービスと、行政の社会保障にゆだねられるようになり、集団の意向を重視せずに、個々人の「やりたいこと」を優先するようになりました。
選択できるライフスタイルの幅が広がり、個人・個性への注目が高まっているこの社会を、哲学者のジャン・ボードリヤールは「日常生活の審美化」と呼んでいます。
では、今の社会は「個を尊重する社会」と言えるでしょうか。
私たちが、拘束力が強く閉鎖的な集団を脱し、「一人」になることを求めた理由の奥底には、「集団ではなく個を尊重したい」という願望がありました。
「個を尊重する社会」というのは、一人ひとりがそれぞれに独立した意見をもち、それを率直にぶつけられる社会という意味合いもあります。
誰もが、気を遣いつつも、率直に意見をぶつけ合うことで、よりよい社会を築いていく、そういった対話のある社会が目指されてきたのです。
一方で、個人の希望や選択が重視されるようになると、誰かの希望や選択に対して、否定的な意見をなかなか言い出せなくなります。
というのも、相手の考えを否定する行為は、「相手の考えや行動を尊重しない行為」と解釈されかねないからです。
だからこそ私たちは、相手の考え方や行動を否定しないよう細心の注意を払います。
このような場で重宝されるのが、「人それぞれ」という表現や立ち位置です。
「人それぞれ」という言葉は、相手の意向を損なわずに受容するという難題に対して、最適解を提供してくれます。
相手の考え方に違和感をもったとしても、「人それぞれ」と言っておけば、ひとまず対立を回避して、その場を取り繕うことができます。
対立を回避するために、他者に対する批判や意見を憚り、気を遣い合うことに重きをおく「人それぞれの社会」。
次週以降の記事では、この「人それぞれの社会」に焦点をあて、身近な人間関係や社会について考察していきます。
To be continued…
今回は、『「人それぞれ」がさみしい 「やさしく・冷たい」人間関係を考える』の第1章「人それぞれ」が成立する社会の条件を中心に取り上げましたが、いかがでしたか?
次週は、「人それぞれの社会」が身近な親しい人とのつながりをどのように変えてしまったのか、どこに問題があるのかを検討していきます。
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