桃栗三年柿八年 ~遠慮は最大の無礼である~
前回は、結果がすべてというお話をしました。どんなに苦労しようが努力しようが結果が出なければ認められない。そういう現実がありそこで生きている覚悟が必要という大変厳しい内容でした。
勘違いしてはいけないのは結果が出なかったからその人の価値がないということではないということ。結果はあくまでも結果。それ以上でもそれ以下でもないということ。タイミングや運も関係します。もちろんそれをしっかりと詰めていくところが醍醐味なわけです。
そして企業のそれは決算ですというおはなしでした。ぐっといろんな感情が同時に現れる。そんな思いをたくさんするからこそ、人は人にやさしくなれるのかもしれません。
さて、今回は「計画」と「遠慮」に関するお話です。何事も実るまでの間が大変なのです。
我慢は墓場まで持っていけ
私はミュージシャンになることを目標にしていた時期がずいぶん長くありました。中学二年生になる頃、テレビでは毎日音楽番組が流れそこにはとてもキラキラした世界があるように見えました。
そして誕生日に赤いギターを買ってもらい、音楽人生が華々しくスタートしたわけです。
「バンドで飯を食うため」どんなことでもこの一言で我慢できました。彼女に「私と音楽どっちが大事なの?」と言われれば即答で「音楽」なわけです。お金がなくて多少ご飯が食べられなくても、ほしい服が買えなくても、この我慢がいつか実を結ぶと信じていました。
我慢が報われないこともある
ですが残念ながら我慢したからといってそれが報われることはありませんでした。そうです我慢をすれば成功するということではないのです。ですが成功をした人は必ず我慢をしています。ま、何を以って成功かという話もありますが。
これは前回お話しした「損して得取れ」という言葉は「損すれば得がある」ということではないというのと同じですね。数学的に言えば必要条件と十分条件です。
だから我慢をしていることはちっとも偉くないのです。むしろそれができないのであれば大きな夢を語る資格はないといってもよいかもしれません。
「少年少女よ大志を抱くのであればその道のりにある我慢はだれにも語らず、墓場まで持っていく覚悟をせよ」というわけです。
我慢自慢はガン無視OK
我慢していることやそれに耐えている自分を自慢するような人の言うことはガン無視でOKだと思います。
そんなしょうもない人は放っておいて自分の道を進みましょう。何故そんな人がしょうもないか?
だって我慢や苦労を自慢できる人なんですから、我慢しているのは自分だけだと思っているわけです。ベクトルが自分にしか向いていないと自分で言ってしまっているようなものなのです。そんな人の言うことは聞く時間はもったいないです。
敬意を忘れないこと。敬意とは行為である。
本当の我慢を知っている人は、同じように我慢をしている人に敬意を払います。
「おや、あなたもですか。世の中利巧が多いと苦労しますね。とほほ」
といった具合。
世の中には自分のことばかりを主張する人が多々います。そしてそういう人に限ってお互いに主張しあうことが問題解決の方法だと考えています。ですがこれは勘違い。
もちろん何かを解決するために主張をぶつけ合うことはあります。ですがそれは「どちらの考えが正しいかを決めるためではない」ということを認識しておく必要があります。承認欲求に負けている未熟な自分を認める必要があるということです。(なぜここで承認欲求が出てくるのかは長くなるので別の機会にします。)
お互いの価値観や判断基準を持ち寄ってチームやコミュニティにとって最善の回答を導き出すことが目的であり、個人の価値観の正しさを証明するために働いているわけではないのです。
あの芭蕉ですらも
俳句で有名な松尾芭蕉は自分の句の言葉選びに迷ったときは弟子と一緒に悩んだそうです。AとBどっちがいい?この気持ち表現するもっといい言葉がありそうなんだけど知らない?といった感じ。お弟子さんも何とか応えられるようになりたいと思い成長するのではないでしょうか。
自分の考えや主張が間違っていないということを確認することは大切ですし、誰かに認めてほしいと思う気持ちはだれにでもあります。ですがそれは30代のうちに終え、40代からは自分ではなく自分が属しているコミュニティへ向けるようにします。
あの孔子も
論語の中に出てくる30にして立つ、40にして惑わず。これまでの話はこれらに通じる概念だと感じます。30にして立っているわけですから、40になって惑わずというのは自分がどうあるべきか、自分が何者なのかなどということを悩む時期はとっくに終えて、次のステップへ進めということではないでしょうか。
例えば社会人であれば会社に所属していることが多いと思います。その場合、自分がどれかけ仕事ができるか、それが周りの人から認めれているかどうか、という考えは30代で終えてしまい、どうすればこの会社が、ひいてはこの社会がもっと良くなるかを考えようということです。
社畜かよ!
こんなことを言うと「社畜かよ」と思われそうですが、別に会社じゃなくてもいいんです。あなたは今たまたまその会社に属しているだけです。一番手っ取り早く試せる最適な場所が偶然にも会社だったというだけです。
なぜ会社が最適な場所かというとそこに評価や対価のシステムがあるからです。会社は社会に何かしら役立つことをし対価を得てそれを分配する組織です。とてもよくできた仕組みだと思います(もちろん完ぺきではないのですが)。これを利用しない手はありません。
運が良ければ世の中に役立つ製品が生まれるかもしれません。運が悪くても誰かの役には立ちます。ですから会社という組織は自分にどれだけのことができるかを試すにはもってこいの場所なわけです。
カモメのジョナサン
自分の価値とか意味などは誰かに好きに決めさせればよくて自分自身がどれだけ楽しめるかをひたすら追いかけてみるもの良いと思います。餌を得るために飛ぶのではなく、ひたすらに飛ぶことだけを追求する「カモメのジョナサン」はそういう話だと私は理解しています。
失敗しても給料はもらえます。失敗したら辞めなければいけないような会社なのであれば、さっさと辞めて次に行ったほうがいいと思います。大切なのはどうやってリカバリーするか。
我慢を知っている人は我慢を知っている人に対して敬意を持った態度や発言を自然にやっています。つまり(ベクトル反転)どんな人にでも柔軟に対応できる人ほど本当の我慢やその辛さを知っている人だといえると思います。
計画には短期と長期が要る
ありとあらゆる我慢には限界があります。どこまで我慢するか(我慢できるか)何をもって我慢をやめるか(方向転換するか)ということはある程度決めておかなければいけません。それが計画です。
計画は「何を」「いつまでに」ということをあらかじめ決めておくことですが、これは見方を変えれば「いつまでに達成できなければ別の目標を設定する」ともとらえることができます。
私はあまりやりませんがギャンブルをするときにあらかじめ掛け金の上限を決めておくのは大損しないための転ばぬ先の杖です。やらないのが一番ですけどね。
日々の上限金額とともに長期的に見た収支から今後もギャンブルを続けるかどうかということを決めておけば身を亡ぼすこともなくなるかもしれません。ま、やらないのが一番ですけどね(笑)
計画には短期的なものと長期的なものが両方ないといけないということがわかっていただけるのではないでしょうか。
忖度と遠慮
コミュニティの最適解を見つけだすときに邪魔になるもの。それは忖度や遠慮の風土です。
ある会社で賞与が支給された翌日に上役の人へお礼を言いに行かなければいけないという習慣があるというのを聞いたときに軽くめまいがしました。
その組織にも辟易しますし、それを変えられないのに勤め続けている人たちにも同様の気持ちを持ちます。
忖度や遠慮をさせる雰囲気や状況を作り出している会社はすぐに改めて下さい。そんなところで世の中をあっと驚かせるようなものが出てくるわけがありません。
世の中をあっと驚かせなくてもそんな環境でワクワクするような仕事ができるわけがないという当たり前のことを思い出してください。
どうやって変えていくか
逆に忖度や遠慮を感じた時は、それを打ち砕こうとしてはいけません。長年かけて作られたその支配制度を壊すなんてできるわけがないと思った方がいいです。
そこに対して自分が何をどれぐらいできるのかを試してみるというのは面白い取り組みです。
・その習慣や風土を変えるだけの何か(価値や遣り甲斐)をその組織に感じるか
・どのようにすれば変えられるか
・自分にできることとできないことを整理してみる
・協力できる人を見つけてみる
・短期長期の計画を練ってみる
・行動してみる
まるで戦国時代に国や時代を作った武将たちのようですね。
これができれば結果はどうでもいい。運よく成果が出れば「よくやった」ですし結果が出なかったとしてもそうやって行動できたことは自分の自信に変わります。
矩を忘れない
遠慮は世の中に対する最大の無礼であり、そのバランス感覚、論語でいうところの「心の欲するところに従えども矩を越えず」が大切なのです。
これが理解できない人とは深く付き合う必要はありません。はい、ここでベクトルを反転し、自分に対して伝えにくいことを言葉を選んで伝えてくれている人に対しては最大の礼を尽くしてください。その前にそのことに気が付かないとだめですよ。自分はまだまだできていないなと感じます。
具体例:プロとしてなすべきこととは?
対価があるかないかでプロとアマかを分類することがあります。ここでは意識の話をしたいので対価の事は一旦横へ置いてください。
プロ野球やプロゴルフなどスポーツの世界ではプロと呼称されるものが多くあります。野球のイチロー選手は「打って、守って、走れる選手」であると評価された際、「そうじゃない人はプロじゃないんじゃないですか?」とおっしゃったそうです。その水準の高さが如実に表れている発言だと感じます。
例題)
朝9時。1通のメールが来ました。
「急で申し訳ないのですが案件Aに関して11時からZOOMで打ち合わせをさせてほしいのですが」
予定を確認するとその時間は特に予定はありません。仕事としても急ぎのものはありません。案件Aは問題なく進んでいる案件と認識しています。案件Aに関するドキュメント類は参照可能なところにあるものとします。さてあなたがまずやる行動は?
あなたにとってプロの仕事とは?
アマチュアとの違いは?
案件の責任者(お客様)に対してあなたが心がけていることは?
上司に対してあなたが心がけていることは?
サービス ≒ スピード
人間にとって重要なスキル。それはサービスだと思います。そしてサービスはほぼスピードで決まると思います。もちろん早とちりして間違った情報を与えてしまうのはだめです。ですが正確性を判断するのに時間がかかる場合(多くの場合がそうだと思います)には「少しお時間いただきます」という一言を速攻で伝えることがサービスへつながります。
サービスとはベクトルの向きをあらゆる方向へ変えながら、関係している全員が笑顔になる方法を考えることです。そしてそれができる状態を自立というのではないでしょうか。
最近では社内のコミュニケーションツールとしてチャットでのやり取りが増えました。チャットにはリアクション機能があるものがほとんどです。
何かの発言をしたときに「いいね」であったり「了解」というリアクションをするものです。わざわざ文章で書くよりも手軽でかつちゃんと認識したということを伝えることができて便利です。
ですがそれすらもしない、つまりリアクションしない人もいるのではないでしょうか。自分の中では(オッケー、分かった)と思っていてもそれを相手に伝えていなければ相手はどう思うでしょうか?
相手に余計な心配をさせない。実はこれは究極のサービスなのです。
今回の内容は2022年6月10日(金)11時からのチャンネルユニコ(stand.fm)にてお話しますので、感想やコメントを頂けると嬉しいです。
次回の魁!!起業塾は その9「誠意しか勝たん 暗闇のおかげで見える光」をお送りします。お楽しみに。